入門 -2022.3.21-

 そして二人の子供は駅のホームから出発した。噂の新天地という場所を目指して。
「カラフルな汽車だね」
「……そうだね」
 『三月二十一日』に来るらしい直通電車を待って一年が経った。来たのは電車ではなく、汽車だ。機関車と客車二両を連結させた三両編成で、各車両の色は一両目から赤、青、緑に染められている。こじんまりとした車体も相まってオモチャのような印象が大きく、少女の心をくすぐるものがあった。
 二人を乗せた汽車は晴れた空をバックに、敷かれた茶色の地面を緩やかに滑走する。新天地というものがどれほどのものか予想できないが、一年も待ったのだからそれはきっと大きく、そして豪華で、目も回すほど見所が多い場所なのだろう。一直線に向かう羨望の地を思うと少女は一層うきうきと胸が高鳴った。
「そういえばこういうのって普通煙とか出るんじゃなかったっけ」
 少女は汽車の先頭に付けられた煙突を見上げる。汽車は蒸気機関車の形をしている。蒸気機関車は名のとおり、石炭を燃やし、水が熱されることで発生する蒸気を動力とした機関車だが、その動力から排出されるはずの石炭の煙や蒸気の煙は煙突から出ていない。オモチャのような見た目からもくもくと煙が立ちこんでもそれはそれで不相応だが、それにしては不自然さも拭えなかった。
「煙突あるのにね」
「……電力で動く汽車なんじゃないかな。煙突は飾りとか」
「なるほど!」
 少年は淡々と言った。
 たしかにこの汽車は電子的な力がはたらいている。だから煙は出ないのだ。汽車と称しているが、あながち『電車』でも間違いではない。

 その地は複数の国や代表地区が隣接して成り立った大国だった。この地を平たく『世界』とも称しているらしい。各国や地区は境界により隔てられているため国から国へ直接通行することはできず、交通手段は入門先である『トップ』と呼ばれる中枢広場からのみ各方面へ行けるようだ。
「看板かっこいいね!」
「……うん。そうだね」
 汽車を降り、二人は入門した先で早速とばかりに華々しい看板に迎えられた。少女は看板を見て期待をする。しかしよく周りを見れば、簡素な造りにあまりに少ないシンプルな飾り。中枢と呼ばれるわりに広々とした場所ではないようだ。少年は看板の下に設置された案内人らしき人物の便りとやらを読む。はてさて見所なんてあるのだろうか。
 二人はまず『案内所』に向かってこの地で何が見れるのか確認してみることにした。そこに書かれてある文に二人は絶句する。
「……じ、実際見に行かなきゃわからないよね! 道通りだって見所に入るよ!」
「……」
 案内所には各地の特色が書かれてあったのだが、多くが『準備中』と記されていた。少女はそれでも淡く望みを懸けた。
 道通りに進むと、往来の整備は噂どおりそれなりに整っているようだ。少女の足取りは軽い。街の眺めもさほど悪くはない。すれ違う人は皆無と言って過言でないほど通行人に会わなかったが、汽車がこの地に開通したのも今日この日が初めてだ。人が少ないのは当たり前だろう。会う人といえば住人くらいで、二人が行く先で出会う住人たちはみな顔を綻ばせ大層喜び歓迎をした。数少ない観光客がそれほど貴重なのだろう。
 二人は歩き回り各地の見栄えを堪能した。案内所に展示物は準備中と書いてあったが、外観自体はどの地区も見られるようで少女は安堵した。豪華な見所があるわけではなかったが、各地全てが通行止めになっているよりはだいぶマシだ。

 この世界では小説の生産が主らしく、生産している国の土地の広さも他の地と比べ大きいらしい。二人はその国へ寄ってみると、辺りの雰囲気がガラリと変わった。街並みは暗色に染まり、夜を思わせる。各地にはトップへと向かう汽車が運行しておりどこも晴れた背景を走っていたが、この国の汽車だけは国と同調し朝でも夜の道を走っているかのようだった。
 きっちりと高く立ち並ぶ建物は厳かさを感じさせる。少女は唾を飲んだ。この国にはきっと何かある。国全体を包む重くずっしりとした空気感がそう思わせて仕方がなかった。
「この国には展示物あるのかもしれないね……」
「……あるといいけど」
 いざ、二人はその国を進む。観光に関する注意を記した看板に目を通してみると、国内でさらに地区が分かれているようだった。どこを観光するのも自由だが、ぜひ観光してほしいオススメの地というものが載っている。そして各地のざっくりとした特色が書かれている。
「ここはちゃんとした国みたいだね。展示物見るの楽しみ!」
「……」
 整った街並み。国全体を包む空気感。この国を観光するにあたっての要項。これは期待しないはずがない。
 辺りの物々しい雰囲気にも負けず少女は意気揚々と早速最初観光すべき地へと向かう。そこには見てくださいと言わんばかりにずらりと小説が揃っていた。この世界に入って初めてのまともな展示物だ。少女は目を大きく輝かせ、一冊目の小説を手に取った。この国で展示物の閲覧は自由だ。観光客も自分たち以外誰もいない。少女の行為を止める者など誰もいなかった。少女は昂った興奮を抑えることなく流れるように紙を捲る。
 ペラリ。
「……」
 少女の行為を止める者はいない。それなのに少女の動きは、必然と止まった。唖然と、体が固まって動かない。
 そんな少女を知ってか知らずか、この地区の案内文を読んでいた少年は声を上げる。
「……まだ読めないみたいだよ。こっちから読め、って書いてある」
 少女が手にした小説の中身は白紙だった。表紙だけ飾っただけのサンプル品だ。
 一年前、駅のホームでも同じことがあったことを思い出す。『開通できませんがかわりにこちらからどうぞ』なんて保険。
 まだこの国で読めないのかと少女は肩を落として小説を元の場所に戻した。
「はぁ……準備中なものは準備中かぁ……」
 とぼとぼと、皮肉にもこの国の雰囲気に合った重い足取りで少女はこの地から出る。今さら期待はしないが、せっかくなのでこの国の他の地区にも寄ってみた。しかし案の定、各地に展示物はなく、展示されたのは『準備中』という貼り紙だけ。
 外観まで造り上げたが、展示物の準備まで間に合わなかったこの世界の管理人の粗雑さが改めて痛感される。
「なーんもないね……」
「……」
 どこに向かうべきか立ち止まる二人だが、ふと少年がひとつの地区へ顔を向ける。
「……そうでもないかもしれないよ」
「え?」
 少年はその方向をじっと見ている。まるで誰かがいるのを見透かしているかのように。

「じゃないと、この世界に来る前から自分たちの後をつけてる人なんていないよ」

 特定の人物へと脅し文句を言い放つ少年と目が合ったのは──

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