「ち、ちょちょ待って! ボクが人間じゃないって……なな、なんでそんなこと言うのかな!?」
「……人間と違うにおいが……」
「に、におい!? そんな、犬や猫じゃあるまいし……」
「その犬や猫並みに鼻がいいので」
ただ返す。それだけだ。フウが動揺するのに対し、ノンは聞かれたこと、思ったことをそのまま口にするだけだった。装うことをやめたノンは、もう恐れなんて抱きはしなかった。
踏み込んではもう後戻りできないと、自覚も覚悟もしている。
「…………」
とうとうフウは何も言えずに黙りこむ。シキは状況が掴めず頭を傾げるばかりだ。
沈黙の猶予。フウはゆっくりと時間をかけて二人を見つめ、ふぅと一息ついて目つきを鋭くさせた。その顔つきは先ほどの可愛らしい幼い童顔のものではなく、大人びた顔つき、真剣そのものだった。
まるで人が変わったような変貌ぶり。気づけば風は、止んでいた。
「……参ったなあ」
観念したようにようやく吐いたその口調は、言葉の割に落ち着いた声をしていた。慌てることも焦ることもなく、冷静沈着に、降参し諦めきったそれは完敗のさま。
「騙すつもりなんてないのにこんなに早く見破られちゃあねえ。黙っても嘘ついてもどうせ余計怪しまれるだけだろうし、白状するしかないなぁ」
フウはノンを称賛するように苦く笑ってみせた。
「えっ? どういうこと?」
シキは困惑と戸惑いの色を見せながらノンとフウを交互に見つめる。シキの問いに答えたのはフウだった。
「ごめんねシキちゃん。ボク人間じゃないんだ」
「えッ!?」
「でも人間と違うからと言って、君たちと同じというわけでもないよ」
「ええ、わかっています。あなたは人間でも 偽 人 でもありませんね。あなたの正体を掴もうという気はありませんが、聞かせてください。なぜあなたがここに?」
「あはは、さっきまで縮こまって疑りかけてた子が急にグイグイ来るなぁ。まあそんなに警戒しないでよ。ボクはただの一人旅。風に誘われた、ね。最初に言ったとおりだよ。──私は人を見て、人を知り、人と話し、そして世界を見たい。そのために旅をしている。とても単純な理由。……そう言うあなたはどう?」
「……自分に目的などありません。少しでも故郷から離れたいだけです」
「だからか……」
ノンの言葉を聞いてフウは確信づくようにぼそりと呟いた。
するとフウはノンの顔に自分の顔をぐいっと寄せ、まじまじとノンの目を見つめた。目だけではなく、それ以上に奥のものを覗き込むように。
彼女の目が恐ろしくまっすぐで、ノンは怯んで身動きをとることができなかった。さっきのハグしようとしたお気楽フレンドリーな雰囲気はいったいどこにいったのか、相手はまるで別人だ。それこそ二重人格かと思えるほどに。
「あなたの目はおかしい。前しか見ていない。でもそれは、前に存在する〝希望〟を見つめる……というわけでもなさそう……。前しか見ないということは、あなたは後ろを向きたくない、見たくない……事実を認めたくない……、というところかな」
一人勝手に解釈していくとフウは近づけた顔を戻し、ノンを、ノンの目をまっすぐに見ながら続けた。
「『渡井ノン』という人の名を持った人ならざる者よ、キミは過去を否定しているね?」
そう言われてノンはびくっと表情を強張らせた。滅多に動かないこの表情を、フウが動かした。
「キミの本来の名前は──」
「言うな!!」
ひときわ大きい声が森中に響き渡った。森にいた鳥がざわめいて飛び立ち、木の上や地面にいた小動物も逃げ出す。
ノンの目つきは変わっており、鋭くなっていた。フウに自身の〝何か〟を知られてしまい、それを掲げられることを恐れている。動揺の証拠に、額に冷や汗が滲み出た。
明らかな敵意と嫌悪。ノンは感情が昂っていた。
「過去の名前は捨てた! いらない……言うのも許さないッ! 今の名前は『渡井ノン』それだけだ! それだけでいいんだ!!」
「ノ、ノンちゃん……」
類見ない声を荒らげ怒鳴る姿のノンに、シキは怯えつつ不安そうに見上げた。それに気づいたノンはハッと正気に戻る。
「ごめん……シキ。驚かせて……」
「ううん、大丈夫だよ……」
シキにだけは心を許してあるらしく、ノンは放出してしまった感情をすぐさま内にしまい込む。表情もいつもの無表情へと戻してシキの頭に手を置くが、感情の昂りのせいで呼吸は乱れたままだった。
「過去を乗り越えて今を生きるのはいい。でも、過去を捨てて今を生きるのはいけない。過去に何があったかまでは知らないけど、それはあなたにとって大事なことのはず。たとえ嫌なものだとしても。見たくないからと捨ててはいけない。認めたくないからと否定してはいけない。見つめ直すことを……」
「一つ訂正させてもらいます」
シキの頭から手を離し、虚ろな目でノンはフウを見た。
「……なに?」
「自分は事実を認めています、自分が何なのかを」
「それなら」
「ですが、過去は否定します。自分をこの姿に変えた過去を、否定します。し続けます。過去を振り返る必要もありません」
てこでも動かない意思にフウは何も言えず目を伏せた。
一つの風が吹きます
それは夏に吹くいつもと違うやさしさ
一つの風が吹きます
それは夏に吹くいつもと違う寂しさ
一つの風が前に立ちました
それは夏に来る忠告
感情が昂る季節、それが夏です
だから落ち着いて聞いてごらん
きっと役に立ちますよ
冷静になればいいだけのことなのに
冷静になりました
一つの風が吹きます
いつもと変わらない、よくある風が
ただ通り過ぎて行きました
ただそれだけです
風はただ通るだけ
風に何か思うのは、
その人が感情を持っているから