■■がゆっくりと瞼を開くと、まだ太陽が高い位置にいるせいで光に眩しく照らされた。思わず眉をひそめて瞼を閉じかける。手を額に乗せて影を作ろうとすると、大きな影が■■の顔を覆った。
「…………。ああ、これは悪夢か……」
「悪夢だなんてひどいよー」
いつの間にか■■は□□に膝枕されており、□□が■■の顔をのぞき込む。
寝起きのせいでさっきまでのことがなんだかうろ覚えだ。□□がここにいるはずがないと■■は口にしてしまったが、□□に苦笑いして返された。
なんだ、これは現実か。
「──!?」
やっと理解した■■はガバッと勢いよく起き上がる。
「な、なんで……! ……いや違う……、そうか……自分が傷、つけて……、でも……あぁあ、なんてことを……ああっ! □□! 自分のせいだ!」
「お、落ち着いて落ち着いて。ねっ?」
珍しく頭を抱えてうろたえる■■に□□は苦笑を浮かべ宥めるが、■■は自分のしたことを省み落ち着かずにはいられなかった。思考もままならず理性もほとんど無い状態だったが、□□を張り倒してしまったこと、手を出そうとした事実は変わらない。なにより夢の中のような朧げな感覚だったとはいえ、そのことを自分自身がちゃんと覚えている。無かったことにはできない。□□の頬を見ればまだうっすらと張り倒した痕だって残っている。それを見て、また罪悪感がし胸を掴まれる感覚に襲われた。
「これは見物。ここに来てからそんな姿見たことない」
ふいに嘲笑う声が降り注ぎ■■はぴたりと動きを止め、表情も静かに戻った。
「あらつまらない。もう終わり? うふふ」
「……いたん、ですか……」
「ここは私の棲処よ。失礼ね」
「……そうでしたね」
■■がそう言うとしばらく無言が続いた。小鳥が羽ばたく音が響いたり、風に揺れてざわめく木々の葉たち。
静かに、しかしたしかに流れていく時間の中、沈黙に耐えきれず□□が声を漏らした。
「え、と……」
「ごめん」
□□が言うのとほぼ同じタイミングで■■は□□に向かい頭を下げた。
「……さっきは自分がどうかしてた……。□□は何も悪くないのに八つ当たりして……恐がらせて……。全部自分の……」
自分のせい、と言おうとして■■は咄嗟に口を噤んでしまった。□□のせいではないが、自分のせいとも言いたくなかった。いや、認めたくなかったのだ。今まで散々周りのせいだと思い続けてきた。周りに当たることで自分自身を守ってきた。それを今さら全てを背負い込み自分のせいにはできなかった。今でも実際、この姿にした人間を恨んでいる。
「……っ……」
唇を噛み締め、目を伏せる。すると□□がそっと手を伸ばして■■の頭をやさしく撫でた。
「大丈夫だよ、お兄ちゃんのせいじゃないよ」
変わらない温かな微笑み。自然と癒され、■■も思わず笑みがこぼれた。
「ごめん……ありがとう……」
さっきまで自分はこの子のことを幾度と突き放したり殺しかけたりもしたのに、相も変わらず□□は優しく■■を受け入れてくれた。
それと同時に、無邪気で純粋な□□にはそのままでいてほしい、幸せな道を歩んでほしい、そう■■は思った。だがあの国に戻っても幸せだろうか? □□は偽人。そのことをいつか知るかもしれない。そうしたら自分と同じように全てを拒絶して幸せすらも嫌ってしまわないか。それが■■にとっては不安だった。
だがその懸念は次の□□の言葉によって掻き消されてしまった。
「もう帰れだなんて言わないでね。私も同じ偽人なんだから、ずっとお兄ちゃんのそばにいるよ」
「……えっ。今なんて!」
「え? 私も同じ偽人だから?」
「…………」
■■は絶句した。よく見るといつの間にか□□の目の色が逆になっており、偽人の証とも言えるそれになっている。
はっとしてルコンの方に顔を向けると、■■の言いたいことを察したようにルコンは不敵な笑みを浮かべた。
「無知でいることは可哀想なものよ。だから教えてあげたわ。色々とね」
今にも舌打ちが聞こえてきそうなほどに■■は顔をしかめた。
「そんな顔しないの。これはその子が望んだのよ」
「□□が……」
■■はもう一度□□の方に顔を合わせると、□□は明るく笑った。本当にこの子は理解しているのだろうか、そんな疑問が浮かぶほど純粋な笑み。
「お父さんとお母さんに会えなくなるのは寂しいけど、お兄ちゃんが戻りたくないなら私も戻らない! お兄ちゃんを一人にしたくないもんっ」
無邪気に軽々と言ってのける□□の意思は固いようだった。しかし■■は□□との考えに大きく違いがあることに気づく。それを実感した■■は決めた。
「……ルコンさん、前言ってましたよね。ルコンさんなら偽人を人間に変えることもできるって」
やはり□□には幸せでいてほしい。
「ええ」
「お兄ちゃん?」
「それじゃあ、□□を人間にしてあげてください。自分と同じなんてダメだ。人間として国で生きた方がいい。人間なら、お父さん、も……受け入れるだろうし……」
「な、何言ってるの!?」
「これがきっと、□□のためになるんだ」
「お、お兄ちゃんは? お兄ちゃんも一緒だよね?」
「…………」
■■は無言を返したが、その意味を汲み取ることなど□□にでも容易なことだった。
「そんなのイヤだよ!」
「□□……」
「ずっと……ずっと一緒って言ってるのに……。なんでそんな……、何のためにここまで来て……っ! お兄ちゃんのバカ! わからずや!!」
□□は涙をボロボロと流しながら走り去り、深い森の影の中へと吸い込まれるように消えてしまった。
最初から□□は、■■に会いたい、そしてずっと一緒にいたいという強い意思でここまで来た。何度も何度もそれを訴えているというのに拒絶されるなんて思わない。
こうなることなどわかっていただろうに、■■は後を追うこともなくただそこに座り込んだままだった。
「…………」
「いいの? このままで」
「……これで国に戻ってくれるなら……それでいい」
■■なりの優しさのつもりだった。こうでもしないと□□は離れないだろう。
自分を捜して会いに来てくれたことはわかっている。ずっと一緒にいたいということも十二分に伝わっている。それでも■■には、自分が許すことのできるたった一人の大事な存在を守りたかった。その子の幸せを。□□が■■と違ってあの親に対して恨みを感じていないのなら、国に戻って平和に過ごす選択もできるはずだ。少なくとも、自分といるより生活の保証もされる。ただ過ごすだけなら国の中の方が安全で平和なのだと認めてはいるのだ。■■自身が戻りたくないだけで。
しかし、
「ふふ、この森を甘く見すぎよ」
不敵にルコンは笑ってみせた。