平等な国 -Don't forgive me-
砂塵が舞い視界を遮られ、閑散とした町並みに活気の無い寂しい地。人通りはそこそこある方だが、道行く人のほとんどはくたびれた服を着ている。しかし服と言うにはあまりに質素でぼろく荒んでおり、肌を纏うだけの布切れ、と言った方がまだ正確だった。
地面と同化する土でできた黄土色の長方形をした家々。亀裂の入っているものが多かった。窓ガラスなんてものは無いが、家に沿うようにして平行に窓らしき歪な四角の穴がぽつぽつと空いている。
活気が無ければ治安も悪い。奴隷が逃げ出したのか、盗みを働いた泥棒なのか、全速力で逃げ走る人。逃げる男を取り押さえ鞭を打ちつける男。透き通るスカーフを巻いて高貴に着飾り道脇で商売する、怪しげに微笑んだ妙齢の女。路地裏からひっそり道先を眺める死んだ目をした子供。路地の奥の暗がりに、横たわったまま動かない人影。
その国は、貧富の差が激しい人々と、生きる道を失くした雰囲気を纏う、混沌とした支配に蝕まれていた。
思い出したくなかったよ
あなたのことなんか
踏み出した足を宙に浮かすことなんて
今さらできるわけがないのに
いつかきっと終わりがくるなんて
知りたくもなかった
「ぼうや、こっちにおいで。おいしい食べ物があるよ」
「お母さんはどうしたの? 迷子かい」
「おいおい、話しかけてんのに無視はよくないぜぼくちゃん」
山吹の色をした髪。風景と同化するには少しばかり明るい色。その髪をした子供は、横髪をピンで二本ずつ両耳の上に留め、肩につく長さをした後ろの髪を一つに縛っていた。苛立ってでもいるのか、道の真ん中をズンズンと力の入った堂々たる足取りで歩いており、道脇で店を開く大人たちは物珍しげに声をかけるが、子は見向きもしなかった。
「誰がぼうやだ……誰がぼくちゃんだ……馬鹿にしてんのか」
耳が遠く反応できなかったわけではないらしく、子は苛立った声を小さく吐き出す。
髪の色は国に溶け込むことはないが、身なりはみすぼらしく皮肉にもその国と同化していた。襟が立つ、胸元はV字に開き紐を交差させて結んだ単調な袖無の服。長ズボンとブーツを履いている。背には焼き鳥の串を大きくしたような、片先は鋭利、片先は肉厚のあるそれを背負っていた。
子供とは思えないような目つきの鋭さをしており、顔は常にしかめていて一体何に苛立ちを覚えているのか、大人から声をかけられる前からそんな顔をしていた。
子の纏う異質な存在感は人の目を惹き付けるのに十分だった。
商売の声の他にも暗い世間話や泣き叫ぶ声が響くこの一帯。様々な音を無視し続ける子がようやく足を止めたのは、だんだんと近づき大きさを増す砂を蹴る音。
ザッ、ザッ、ザッ──
振り返ると、同時にその音の主が子と衝突し、ドサッと両者とも倒れ込んだ。
「い……って……」
子は立ち上がろうと膝と片手を地面に着け片方の手で頭を押さえると、嫌でも眩しく照りつけていた陽の光がふいに遮られる。
顔を上げると、ぶつかってきた者だろうか、子より一回り大きい相手が目の前に立ち塞がり影を落としていた。
「ハァ……ハァ……」
逆光のせいでまともに顔が見えないが、息を切らす相手を前に、子は呆然と動きを止めた。
すると突然、目の前の相手は、子の横髪を留めていた片側のピンを二本ともガッと奪い取り走り去った。
「──へ……っ」
あまりに唐突な出来事に子は何もできなかった。
留めるすべをなくした横髪が形を失い、自身の目の前にはらりと垂れ落ちる。自分の髪の毛だというのに、それを見た瞬間子の顔から血の気が引き、目を開いた。ガタガタと体を震わせ、まるでおぞましいものでも見たかのような反応。
自分にされたことの事態を子はようやく理解した。
「……ァ、あああああああああああああああぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああッ!!」
子はうずくまりながらこの一帯で響いていた音を掻き消すほどの叫び声を発した。
誰も彼も驚き子を一望する。なんだなんだとざわつき出す。しかし誰も近づいたり心配気に声をかけに来たりはしなかった。不審に一瞥しては去っていく。きっと誰も、誰かに関心を持つことなどしないのだろう。この国はそういう国なのだ。道行く人は子を避けて歩き出す。
長い長い叫びが止まり、一息分を腹の底から吐き出したその子は顔を上げた。ゆらゆらと立ち上がりながら垂れた横髪を耳にかけると、片側のピンを一本外して、そのピンで盗まれたピンの分を補い留める。
目の前をギンッと開かせた瞳孔で凝視すれば、ぶつかった挙句盗みを働いたその相手が叫びに怯んだのかこちらを向いたまま立ち止まっていた。
子は鬼のような形相で走り出すと、それを引き金に相手もはっとして逃げようと走り出した。
身なりが普通に増して貧相な相手は食もままなっていないらしくふらふらな足取りだ。簡単に子との距離を縮められる。子は背負っていた串を取り出し、肉厚の部分を前に向けると、勢いよく相手の足元をすくい上げた。
「あッ──」
一瞬宙に浮いた相手の体は、すぐさま重力によってズザザザァッと地面に叩きつけられる。相当脆い服を着ていたのか何箇所と破れてしまい、腕や足に長い擦り傷を負った。砂の混じった傷口から鮮血の色が滲み出るが、痛みに耐え震えながら力を振り絞って立ち上がろうと背筋を上げる。
しかし子は冷淡な表情。串の鋭利な先端を相手の顔の真横にザッと突き立てた。
「ヒッ!」
「おいクソガキ。人にぶつかっておいて謝罪もない……さらには盗みとかふざけてんのか。ただで済むと思ってんじゃねえぞ!」
肩甲骨まであるぼさついた髪。相手は涙目になりながら子を見上げた。顔を見てようやく相手が女であることがわかったが、それでも子は非情さを捨てず怒りを露わにしたままだった。
「新入り見つけたぞ!」
背後から声がし、子は振り返ったが少女は一段と怯えた顔をする。また逃げる気か立ち上がろうとするが、慌てたせいか立ち上がりきることはなくその場で転んだ。
「おいお前──」
「逃げるとはいい度胸だなあ、あぁ?! 活きがいいやつはすぐ売れることだろうよ!」
子が咎めるよりも先に、後ろから来た声の主である大人が近づき、そしていきなり少女に向けて鞭を打ちけた。
「い゛あぁぁあ!!」
一発だけで少女は立ち上がる力をなくして地面に突っ伏す。その大人は抵抗しない無防備な少女にまたバシン、バシンと鞭を打ちつけた。
「あぁああッ!」
背中の布が破れてしまい皮膚が丸出しになった。それでもまだまだ鞭を打つ。背中は真っ赤に染まり、鞭に沿った赤い傷跡まで浮かび上がり見るも無残な有様だった。
非情な光景を間近で直面してしまい、いたたまれなくなったのだろうか、顔をしかめて子は声を挟んだ。
「おい、そこまでしなくてもいいだろ」
「あ?」
「た……たす、たすけ……」
「売り物が喋ってんじゃねえ!」
少女が救いを求める眼差しをするが、バシンッという音がまた響いた。
「で、誰だいぼくちゃん。この子のおともだちかぁい?」
馬鹿にした台詞をわざとらしく吐けば、子はぎろりと睨みつける。大人ともあろう者が、子供の発したその眼光に怯みを覚え一瞬体を震わせた。
もしかしたら、なんて少女の期待は膨らみ、まっすぐに子を見つめる。
「はっ。ふざけたこと言ってんじゃねえ。オレはこいつに物盗まれてんだ。これ以上やって殺されでもしたらオレがこいつに罰してやる分がなくなるだろうが」
子は少女を助けるつもりなどさらさらなかった。少女の淡い期待は簡単に砕かれ、子の目つきが絶望のトドメを刺している。
「あ……っ、あ……」
「おっと、それはそれは……。おい新入り。テメェ脱走しただけじゃ飽き足らず盗みまで働いたのか? さっさと出せ!」
大人が声を上げれば、少女はぎゅっと握っていた手を上げ開く。震わせる手に包まれていたピン。それを大人は乱暴にガッと奪い取り子に渡した。そして大人は小さな少女の手を容赦なく踏み潰した。
「あ゛ぁああっ」
「このグズ! 汚ねえ雑草が! 人様のモノを盗ってはいけないって教えられなかったのか!! そんなんだから母親に捨てられるんだよ!! わかってんのか!」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ!」
非情な国の在り方を目の当たりにした。子は同情することはなく、無関係を貫いてその光景に呆れた。
「……っと。ぼくちゃんよ、お前も仕返しするかい?」
玩具で遊んでいるかのようににやにやと悪戯な笑みを見せながら大人は問いかけ、子はどうしようかと目を逸らした。まともに身動きできず、かすかに痙攣を起こしている少女の体。
子は砂埃でくすんだ空を見上げながらふぅ、と一息吐いた。
「気が変わった。処罰はあんたに任せるよ」
顔を前に向けて手を振りながら、子は先ほど自分が通行人にされたように、何事もなく通り過ぎていく。
這いつくばったままの少女の嘆きの声が背を伝うが、無慈悲に子は振り返らなかった。