子は泊まれそうな宿を探した。しかしどの宿も宿泊費が高く、子には手が出せなかった。親はどこにいる、と聞かれたものなら、舌打ちを残して踵を返し立ち去っていく。
日が暮れた国には一層物寂しさが蔓延する。道脇の商人たちはいなくなり、かわりにぽつんと立ち尽くす人が残っていた。人通りは少なくなり、路頭に迷い、ふらふらな足取りをする人が目立つ。客寄せの声が聞こえなくなったかわりに、路地や狭い道で響かせる鞭の音と怒号はよく聞こえた。
「おじょうちゃん、もう暗いのにあまり出歩いちゃいかんよ」
子の周りの通行人はほんの二、三人の大人で、声をかけられたのが自分かと子は気づき道脇を見る。目の細い老人が微笑んでいた。
「……〝おじょうちゃん〟って……オレのことか……?」
「おや、男の子だったかいのう? すまんすまん、わしは目がよお見えんでなあ」
「……ん。で、そう言うじいさんはなんでまだ外にいるんだよ。じいさんも家に帰りゃいいのに」
「ほっほ。わしに家などありゃせんよ。家も家族もぜーんぶぜんぶ、無くなったわ」
「…………」
「それよりのう、若いのよ。お前さんみたいな子は攫われて売り飛ばされちまうよ。早くお帰り」
「あ、い、に、く。オレにも家やら家族やらは無ぇんだ。ご心配なく」
「ほぉ……それはそれは……」
「じいさんはなんで家が無ぇんだよ」
「そうじゃのう……時代の流れというやつじゃ。今の王が取り決めた行政についてこれんやつは置いてかれ、見捨てられ……わしはついていけんくてこうなった。子供も孫も時代に置いてかれ売られた。家も売られた。わしは売られる価値もなくてこの有様じゃよ。じゃがついてくやつもおってのう、そやつらはふんぞり返ってわしらみたいなもんを見下して……ほれ、そこのやつも見下しよる」
老人は細い瞼を少し開き正面を視差する。家と家の間の路地。影になったその隙間。横たわった人間を蹴るなどして暴行を加える大人が見えた。
「…………」
「腐った国じゃが、それでもわしは慈悲でなんとか飢えを凌いどるよ。いつ死ぬかもわからんが、ちゃあんとここに生きとる」
「こんな国に生きる価値があんのかよ」
「生きることに、意味があり、そして価値があるんじゃよ。おじょうちゃんも生きなさいな」
「……はっ、余計なお世話だ」
子は言葉を吐き捨て立ち去った。
とうとう子は宿を見つけられず、街の外れに来た。いつ死ぬかもわからないような死んだ目をした人が幾人と道脇に横たわっている。街にも同じような人は見かけたが、それに比べても酷かった。
ふと脇見すれば、牢獄のように鉄製の格子で塞がれた建物があった。その中にはボロい布きれを羽織る老若男女がいる。
「……昼間の」
子は見逃さなかった。その中に、昼間盗みを働いた少女がいることを。
少女も気づいたらしく、せがむように檻をガッと掴み声を荒らげた。
「たすけて! ここから出して!!」
二人いた見張りの男の内一人が舌打ちしながらガンッガンッと鉄格子を蹴る。
「うるせえぞ」
「きゃっ!」
子はその様子をただ見ていた。少女が無慈悲な扱いを受けようと、救いの手も伸ばすことなく見るだけだった。
「で。お前は何なんだ。お前も親に捨てられたのか?」
一人が蹴りあげる中、もう一人の見張りが子に向かって問いかける。
「ちげえよ。こいつの無様な姿を見届けてやろうかなと思って」
「性格悪いガキだな……親に捨てられるぞ。そうしたらお前もおんなじ無様な姿に成り下がるだろうよ」
「性格悪いのどっちだよ。ははっ! あんたらがこれ見よがしにやってっから、オレが見といてやってんじゃねえか。いやあ楽しいねぇ奴隷いびりは」
「うっわ……さっさと帰んな。本当に捨てられても知らねぇぞ」
「へいへい」
子は手をひらひらと振り踵を返し歩いていく。
と思いきや、
「ふん──っ」
「な」
ガンッ!
子は急に体を捻り、持っていた串を構えて肉厚が広い柄の部分で見張りの男の顎を突き上げた。咄嗟の出来事に見張りは怯んで避けることもできず、不意打ちを食らった拍子に頭を格子にぶつけ倒れてしまった。
格子を蹴っていたもう一人の見張りが唐突な子供による襲撃に驚きつつも、我に返って持っていた長い棍棒を構える。しかし元々襲う気でいた子の方が行動に移すのが早いのは当然で、男が棒を構えたと同時に子はすぐさまその男の足を串で薙ぎ払った。バランスを崩した男も地面に倒れ込んだが、まだ意識があったため立ち上がろうとする。だが立ち上がる暇など与えずに、子はその場にあった大きめな石を男の頭に叩き落とし気絶させた。
「…………」
檻の中の少女は呆気を取られ口をぽかんと開けていた。たすけて、とは言ったもののこんなにも簡単に片づいてしまうものか。それもさっきまで助ける気がさらさらなかったはずの自分より年の低いこの子供に。
子は串を背に戻し、パッパッと手についた砂を払う。一仕事を終えたかのような顔で少女に顔を向け、ようやく少女はことの事態を把握した。
「……助けに……来てくれたの……?」
その発言に子は顔をしかめ、冷淡で残酷な眼差し向けた。
「勘違いすんな。盗っ人なんかを助けてやる義理なんてねえ」
「じ、じゃあ……なんで……」
「そうだなあ……オレの虫の居所が悪かっただけとでも思っとけ。なんとなくこいつらが気に障った」
子は見張りの男の腰にぶら下がった鍵束を取り上げながら言うが、少女には理解できなかった。機嫌だけで善悪関係なく行動できるのなら世も末だ。この場合の善悪とはいったい誰のことか、それもよくはわからないが。
子はジャラジャラ音を立て南京錠に合う鍵を探し出し檻を開けて言う。
「出な。あんたが奴隷なことにかわりねえ。オレがこき使ってやる」
「えっ……」
「それと、あんたらに用はない。逃げるでもここに残るでも好きにしな。──おら行くぞ」
「ま、まっ、ちょ……!」
聞いているかどうかもわからないような、中にいた他の奴隷たちに向かってひときわ大きい声で言葉を投げ捨てると、子は少女の手首を掴んで強引に連れ去った。
「ねえ、待ってったら! 痛い!」
少女の悲痛の声に気づく頃にはだいぶさっきの場から離れていた。
子は歩きを止めて少女の方へ振り向きながら手を離す。少女は掴まれた手首をさすりながら子を睨むが、あいにくそんな眼光まるで子には響かなかった。そもそも助けてあげたのに睨まれるなど子にとっては筋違いでしかない。
「……あなた何者? これからどこに行くつもりなの?」
「何者……旅人としか答えられねえな」
「旅……国外の子、だったんだ……。こんなに小さいのに」
「……小せえとか関係ねえだろ。言っとくけどお前より年上だからな」
「えっ……」
「家も無えし親もいねえ。いわゆる根無し草だ。どこに行くかはまだ決めてねえけど、この国からおさらばしたいなら付き合ってやる。お前はどうしたい」
「…………」
「この国に残ってもどうせまた捕まるだろ」
「そうね……。見つかったらただじゃすまないと思う……」
少女は恨めしそうに首の後ろに手を当てる。首の後ろのうなじ辺りに、奴隷の証だろう焼き印が施されてあった。これがあるかぎり少女は〝奴隷〟という身分から逃れられないのだろう。
「じゃあ、出るか? 親に捨てられたんなら未練も何もねえだろ」
「お母さんだって……好きでこんなことしたんじゃないもん……」
「ふぅん。じゃあなんでこんなことになってんだ」
「それは……、お金がなくて……仕方なくって……」
「仕方なく、何だ? 現実を見ろよ。目前の事実を認めろよ。信じた母親はお前に何をした。捨てただろ」
「も、もう少ししたら迎えに来るって……そう言ってたんだから……っ。だから……だから今だけ!」
「本当に信じてんのか? 迎えに来るって? 後で来れるもんなら最初から捨てることなんてできねえだろ。諦めろ。受け入れろ。お前は捨てられたんだ」
「──ッ! あなたに何がわかるって言うのよ!!」
「…………」
「何も知らないで捨てた捨てたって勝手なことばっか……! あなたなんかに私の気持ちわかるわけない……。どんな気持ちでお母さんと離れなくちゃいけなかったのか……どんな気持ちでお母さんが、私を……っ!」
捨てられたという言葉を否定できないのは、本当は自分の立場を理解しているからだろう。親を悪者にしたくないのに、どうしようもない現実が親を悪者に仕立てあげようとする。子がいっそう駆り立てる。それが少女には苦しかった。
「お母さんは悪くない! 悪いのはこの国と王様だもん! 貧しい人には厳しくて、裕福な人ばかりいい思いをするなんてあんまりよ。前まではなんとかやっていけたのに……。貧しくても、たまにご飯がなくても、それでもお母さんと一緒だったから……! それなのに……それなのに……っ、王様が変わっちゃったせいで全部全部変わった! お金がなくなって、働いても足りなくて、生活は苦しくなる一方で……ひっぐ……私だって……私だって本当は捨てられたくなんかなかったのに! 貧しくてもご飯がなくても、お母さんと一緒に……一緒が……っ、ひっ……ぅうわぁああああああ、おかあさぁああん!!」
現実を受け入れた少女はわんわんと泣き出してしまった。子はそれをただ見ていた。慰めることも、頭を撫でてやることもなく、見届け続けた。
夜中響き渡る泣き声に、誰も気に留めたりはしない。こんな日だってあるだろう。それがこの国の日常にすぎない。いちいち気にくれてやるほど、人は他人を見ていないし、大層優しいお人好しなんていない。なんで泣いているの、そんな言葉が降ってくることもない。
人も時間も非情に少女を無視して勝手に進む。深夜響いた声は、夜明けと共に消えていた。
「……いつだって最後は自分が第一なんだよ……そういうことだろ」