キツネ -Who are you, who am I-

 春の夜。  陽が沈んで熱を失い、ひんやりとした空気に纏われた森。  キツネの面をつけた者は、死んだ目をした少年に告げる。 「此の先の国に訪れることのなきことを。さもなくば其方の命、私が頂くものとする」  高い位置から見下ろす月光は、キツネの後ろに束ねた長い髪を白色に照らし、去り行く影を伸ばした。   誰かが私を呼んでいる   その誰かは何を思っていたんだろう   きっと私を見下し馬鹿にして   指を差すのでしょう?   ああ、私はなんて可哀想な子  燦々と降り注ぐ陽の光を浴び、手を伸ばすように葉を広げた木々が並ぶ。木々の間にはまっすぐ伸びた黄土色の地面が均され、その道を一台の自転車が走っていた。  運転するのは黒髪の少年。荷台に座って、落ちないように少年にしがみついているのは灰色のおさげをした、少年より歳の低い少女。 「風が気持ちいいねノンちゃん」  風に吹かれ、髪を揺らしながら少女は少年に声をかけた。 「……そうだね、シキ」  返事をするノンと呼ばれた少年の顔からは『気持ちいい』と言うにはあまりにかけ離れた表情の無さしか映し出されていなかった。目は死んでいるかのように虚ろ。だがそんなこと気に留めず、シキと呼ばれた少女はにこにこと明るい笑顔を見せていた。  しばらく道に沿って走っていると、向かう先から車が見えてきた。近づくにつれ速度を落としていくその車は、クラクションを鳴らしてノンの隣で止まった。  ノンもペダルに乗せた足を片方外して地に着けると、車の運転席の窓がゆっくりと開き、運転していた中年の男が窓から顔を出した。 「君たちこの先の国に行くのかい?」 「……そうですけど……」 「やめたほうがいい。今あの国では騒ぎが起きてるんだ。下手すると怪我するよ」 「……騒ぎ、とは」 「正体はよくわからないけど……『キツネ』っていうやつが出るんだ。旅人を容赦なく襲ってくる。国内でも偉い人が何人も襲われているらしい」  汗を垂らしながら男は真剣に語るが、ノンは相も変わらず表情が変わらない。 「……そうですか。お気遣いどうも。ですが、行くだけ行ってみます」 「……そうかい……。忠告はしたからね。何が起きても知らないよ」  助手席に座っていた女性が男の腕を掴み、早く行こう、と促した。女の顔は口元から下しか見えなかったが、怯えているのか口角が下がり、ガタガタと体を震わせている。 「……あなた方は『キツネ』に会ったんですか?」 「…………」  男は唇を噛んで黙り込んでしまったが、女はますます先を急かして腕をゆする。女の頬にツーと一滴の雫が流れるのが見えた。  言葉では返されなかったが、ノンの問いかけに対する答えとしては十分な反応だった。 「……じ、じゃあ、僕らは行くよ」  車は猛々しいエンジン音を立てて走り去った。 「……キツネ、か……」 「これから行く国は危ない所?」 「…………。どうだろうね」  ノンとシキは道を進んだ。  二人が着いたのは円を描くようにそびえ立つ城壁。目前に中に入るための門と、関所だろう小さな円柱状の塔があった。二人は自転車から降り、その塔へ向かう。  塔の中には入国の手続きを行う審査官がいた。 「やあこんにちは」 「こんにちは!」 「……どうも」  審査官は柔らかい笑みをしながら挨拶をし、シキはそれに合わせて明るく応えたがノンは表情を変えず会釈した。 「入国かな?」 「はい」 「今国内だとやっかいな『キツネ』が出るんだけどそれでも大丈夫かい? よほど君たちには無害だと思うけど」 「キツネ、ですか」 「そう。キツネ」 「…………。無害な根拠は?」  すれ違った男は旅人を襲うと言っていた。審査官と男の話にズレがあることに疑問を抱くのは当然だった。 「今まで国内で地区長やその周辺の人以外が襲われたことはないからだよ。あっ、地区長っていうのは国の偉い人ね。この国は五つの地区に分かれてて、その地区ごとに代表となる地区長がいるんだ」 「……なるほど……」  嘘を言っているようには見えない。おそらく道中で会った二人は国の外で襲われでもしたのだろうかと思考を巡らせる。 「どうする? 小さな旅人さんたち」  再度聞かれ、ノンは入国する旨を伝えた。  入国する上で必要な書類を書いていると、関所内からジリリリという電話の呼鈴が聞こえた。審査官の男が中に入り、数分後に出てくると、ほぼ同時にノンも書類を書き終え提出した。 「さっきのキツネの話だけど、一般人も被害に遭ったらしい。まあ襲われても仕方ない人だったからね。旅人さんたちはきっと大丈夫さ」  なんの根拠もなく信用のない台詞だったが、ノンは気に留めず入国を選んだ。自転車のハンドルを持って引いて歩こうとすると、 「あっ、その乗り物は持ち込み禁止だよ。出国するときに取りにおいで」 「…………はい」  いつもより長めの呼吸を取ってからノンは承諾した。  国内は灰色の石で敷かれた道に、幅の狭い用水路があちこち流れ、用水路のそばには木が植えられ花が咲いていた。立ち並ぶ家々のベランダやバルコニー、窓際などには鉢植えが置かれ、壁には蔓が巻き付いている。  一見緑が多く、自然と共存し発達した国に見えるが、線路が敷かれていたり、時折車が走っていることから、緑だけでなく工業面でも発達していそうだ。 「号外だよ号外! またキツネが現れた! 今度は青地区の地区長と警備員、それに初めて一般区民が襲われたよ!!」  唐突に少年の声が広場に響き渡る。響いた声を引き金に、道行く人たちは顔色を悪くしたり、雑談していた主婦が顔をしかめ合ったりとざわつきだした。キツネという者の評判の悪さがよくわかる。 「キツネに会ったらどうしよう……」  国中を騒がす存在にシキは怯え始め、ノンは屈んでシキと顔を合わせた。 「何が出ようとシキは自分が守るから。心配しなくていいよ」 「ノンちゃんがケガしたら?」 「自分の身なんてどうでもいいよ」 「よくないー! ノンちゃんも無事じゃないとダメなのー!」  感情の無いノンは自分が犠牲になることをなんとも思っていないようだが、シキはそれを許さずポカポカと痛くないパンチを繰り返した。 「何かあったらノンちゃんも自分を守ってね……」 「でも自分は──」 「…………」  心配気に見つめるシキの目はうっすら潤み始め、ノンはその目を見つめると諦めたように息を吐いてシキの頭を撫でた。 「……わかった。シキに心配はかけられない」  それを聞いてシキは安心したようににっこりと笑った。  ノンはシキの手を握り、号外新聞を購入しつつ話を聞くことにした。 「……すみません、旅の者です。外の審査の人から被害に遭った一般人は襲われて仕方のない人だと聞いたんですが……どういう意味かわかりますか」 「ああようこそ旅人さん。最近危なっかしい事件が多いのにわざわざ入国するなんて物好きですねぇー。えーと被害に遭った人ですか? それはたぶん改革派の人だったからですかね」 「改革派……?」 「この国は草木が多く緑豊かで、それが誇りでもあり売りで有名だったんですけど、近年では工業方面に力を入れていまして。緑よりも、他国より優れた技術を伸ばして売り込もう! って動きなんです。その動きに賛成してるのが改革派」 「……はあ」 「キツネが襲うのは決まって改革しようと推進している地区長やその周辺人物なんですよ。今回初めて襲われた一般人も改革派でした」 「……なるほど」 「この国の中心部である白地区が一番改革精神が強くて改革派も多いんですけど、キツネがまだ犯行に及んでない地区はあと白地区だけなんです。意図的なものを感じますよね大トリは最後に取っておく、みたいな! 僕も住まいが白地区なのでキツネが現れるところを写真に収めるつもりです!」 「……それは……あなたも危ないのでは」 「僕は緑化維持派なのでまあ大丈夫でしょう」  他人事のように楽観的に答えた少年は、誇らしげに胸元につけたバッジを指差した。周りを見渡せば、道行く人たちも皆、胸元にバッジをつけている。緑化維持派を名乗る少年のバッジが双葉の形をしているのに対し、キツネの話に顔をしかめていた人たちのバッジはスパナの形をしていた。 「国民は全員それを……?」 「はい! つけ始めたのは改革派で、お前の敵はこんなにいるんだぞー! っていうキツネへのささやかな対抗でした。効果は無いどころか被害が増して逆に緑化維持派が増えてますけどね」 「……そうですか。ちなみに……今まで滞在していた旅人が襲われた、という話は聞いたことありますか」 「あーそれはないですね。キツネの正体はきっと緑化維持派ですし旅人を襲って悪評が広まるのを避けたいと思いますよ。観光客が減ったりしたらこの国にデメリットしか生まれないですから」 「…………。そうですね」  外で会った旅人の話をノンはあえて伏せておいた。

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