ノンは閑散とした通りを眺め、店内でシキは花を見回っている。十分程経った後に、中で二人の話し合いが終わったのかリンが外に出てきてノンに頭を下げた。
「先ほどは申し訳ございませんわ」
「いえ、別に……。ハクノアさんは……?」
「警察から保護を受けてもらうことになりましたわ。住み込みで働いてくださっていたので今は荷物をまとめています……あまり快く受け入れてはもらえませんでしたけれど……」
「……なぜあの人は、保護されるのを拒むんでしょう……。自分なんかより安全なのに」
「もしかしたら、この店を離れたくないのかもしれませんわ。来週になったら取り壊されてしまいますもの」
思ったとおり店の事情を知ったノンだが、たいして驚きはしなかった。たかだか従業員であるだけのハクノアが大層気に入っている店なんだな、と思いはしても所詮ノンの無関心さ。取り壊される店のオーナーを前にしても気をかける思考も感情も持ち合わせてはいなかった。
「……ノアさんが青地区にいたのは店舗の移転契約のためなんですの。本当は私が行く予定だったところを張り切ってくださって……。地区で二番目の改革推進派なのでうまくはいかなかったみたいですけれど」
「……店舗を移すことまで考えていたのに緑化維持派ではないんですね」
「ああ……もちろん最初は緑化維持派でしたわ。ですが赤地区が被害に遭った後改革派に変えましたの。立ち退きの関係上、地区から強制されたというのもありますが、キツネに早く捕まってほしくて……。いくらなんでもやりすぎですわ……」
「……そうですね」
しばらくして警察がやってきた。ハクノアは依然乗り気ではない様子で、目を伏せ明らかに不服そうな顔をしている。外に立っていたノンを見ると、途端に抱きつき、助けを請い泣き出した。
「警察なんて安全じゃない! 何人も被害が出ているんですもの! 危険と隣り合わせの旅の方に護ってもらう方が安心できます!」
それほどここの警察は頼りにならないのか。すぐ後ろでその職の人が待っているというのに。ハクノアは気にかける素振りも見せなければ悪びれもせず、堂々と失礼な毒のある言葉を並べていく。それでもノンは、
「自分は安心できませんよ」
同情の一つも見せず冷たく言い放った。ハクノアは感極まり手を出しそうになったが、すんでの所でグッと堪え、唇を噛み締めながらその手を止めた。
「……信じるんじゃなかった」
手を出すかわりに愛想を尽かしたようにボソッと嫌味を言い残してハクノアはおとなしく警察についていった。まとめた荷物が入ったキャリーバッグを転がす音がガラガラと悲しく響く。
去っていくハクノアの背を見つめるノンは、最後まで冷たい目だ。
「元から信じてもいないでしょう……」
「ここに来る前にノアさんから何を言われたかは存じ上げませんが、キツネとあなた方とは関係のないこと。気になさらなくていいんですのよ」
「……はい」
見送り続けるノンを慰めようとでもしたのかリンは声をかけるが、単にぼうっとしていただけのノンは空返事を送った。
ノンとシキは後腐れなくこの店を去り、当初の予定だった白地区の中心部へ改めて向かう。
つい先まで訪れていた閑散とした通りと比べ、中心部はやけに賑わっていた。多い人並み。栄えた商店街。同じ地区でもこれほど差があるのは滑稽だ。
レンガ造りの建物には度々チラシが貼ってあった。
【求む! キツネ狩人! ─連絡は白地区所まで─】
次にキツネが狙うと言われている白地区長はさぞやっけになっていることだろう。ご丁寧にも『※命の保証は致しません』と、紙の端に気づかれないほどとても小さい字で書かれていた。無責任にもほどがある。この紙切れ一枚だけで、ハクノアから聞いた白地区長の傍若無人っぷりがひしひしと伝わった。
そして一週間が経った。ノンとシキはいまだこの国に滞在している。
というのも、『キツネは黒髪黒目』というアバウトな目撃証言により、白地区所付近をうろついていたノンが怪しいと目を付けられてしまい一時的に逮捕されたことがまず発端。旅人としての経歴から疑いは晴れてすぐに解放されたのだが、この情報が白地区長にも行き届いたらしく、旅人としての腕を買われボディーガードとして雇われてしまったのだ。これが今もなお滞在し続けている大きな要因である。
キツネは旅人を襲わないという事前情報があるとはいえ、大の大人は子供にさえ頼ってしまうほど切羽詰まっているらしい。自分には関係ない、とノンは最初断ったが、依頼の報酬として巨額な大金を支払うと言い渡され、二つ返事で承諾した。
「ノンちゃん死なない?」
「……死なないよ」
「大丈夫?」
「……たぶん。でもシキは巻き込みたくないな……」
今晩あたりにキツネが現れるだろうという噂が大きく、ノンとシキは白地区所の近辺を歩き見回っていた。
白地区所を囲うのは清潔に保つ真っ白な高いコンクリートの塀。周りには姿勢正しくピシッと足並み乱れぬ歩行で見回る警備隊。表情はみな強ばっており緊張感が伝わってくるが、固まった表情や動きからまるでロボットのようだ。
「あら、ノンさんにシキさん?」
声のした方へ顔を向けると、リンの姿があった。
「リンさんだー!」
「……どうも」
「お久しぶりですわ。まだ滞在していらしたんですのね」
「まあ……色々あって……」
「色々? ここは危ないのに……」
「…………」
話を逸らすようにノンは目を背けた。リンは怪訝な顔をするが、ふと塀に貼られたチラシを見て察する。
「もしかして……地区長に雇われたんですの……?」
「……。そうですね」
「そんな危ない真似を! 今からでも遅くないですわ。断りを入れましょう」
「リンさんには関係ないでしょう」
「……そ、そうですけれど!」
「もう決めたことですから」
てこでも動かない意志を感じ、リンは口出しするのをやめた。ノンの言うとおり、あくまでただの顔見知りというだけで、たいして深い関係などないのだから。
「なぜ自分に関わろうとするんです」
「……私はただ……この国の事情にわざわざ首を突っ込んで危ない目に遭ってほしくないだけですわ……」
目を逸らして言うリンの面持ちは、心配の色もたしかにあったが、それ以上に何かを隠しているようにも見えた。かと言って、
「……心配どうも……」
ノンもノンで、別段言及するような野暮なことなどするわけがなかった。
「……それでは、ごきげんよう。あまり長居なさらぬことをお勧めいたしますわ」
そう言ってリンは去っていく。揺れる白く長い髪を見届ける中、ノンは、あっ、と思わず声をかけた。
「……リンさん待ってもらえませんか」
「はい?」
「お願いしたいことがあるんですが……」
「私に、ですか?」
ノンは一晩、シキをリンに預けることにした。
白地区所内某室。そこにハクノアはいた。
「あの……私までここにいて本当にいいんですか……?」
「警察や護衛らも、分散して警護するより一箇所で警護した方がやりやすいだろう。それにノアくんも私の側にいられて光栄じゃないかね?」
ハクノアの肩に手を置いた男──白地区長はニコニコと笑みを見せてくる。馴れ馴れしく距離の近いこの男にハクノアはゾゾッと鳥肌を立てたが、失礼のないようにと愛想笑いを浮かべる。
「そ、それは光栄ですが……私なんかがいて烏滸がましいというか……失礼に値しそうで……」
「ハッハッハ。なんとも奥ゆかしい子だ。そんなこと全く気にしなくていいんだよ」
「は、はあ……」
相槌を返しながらふと、ハクノアは自分の倍以上の高さをした窓から外に目が入った。
「──リンさん……?」
ちょうどノンと別れシキの手を引き歩くリンの姿が見える。
「……そうか、君はあの花屋の元従業員だったか」
「今もです。解雇なんてされていませんから」
「まあどっちでもいい。ノアくん、君にひとついいことを教えてあげよう」
日も落ち空は黒に染まった。点々と少ない星光や、高い位置の月明かりは、地上を照らすにはあまりに儚く心許ない。自然の明かりは元より頼りにはしておらず、造られた街灯だの信号機だの、人工による発光源がやたらとこの地を照らしたがる。
白地区中に響き渡るサイレン音。せわしく駆ける車の光。誰も彼も、キツネを警戒しているのだろう。
「ノンちゃん大丈夫かなぁ……」
シキはリンの住んでいるアパートに預けられ、今頃白地区所で地区長を護衛しているノンのことを心配していた。晩御飯までご馳走になり、空いた机の上に腕を伸ばして窓を見つめる。
「大丈夫……と信じるしかありませんわ。旅人は襲わない、のでしょう?」
「うーん……でも外だと襲われちゃうんだよ。国に入る前に外で会った人が言ってたもん」
「…………」
「ノアさんのことも心配だね」
「……そうですわね」
リンはそう言いながらティーカップに紅茶を注ぎシキに渡した。細いスティックシュガーを開けて、さらさらと細かく光を帯びる白い粉末を流し入れかき混ぜる。
「これを飲んだらおやすみなさいまし。もう子供は寝る時間ですわ。明日になればきっとすべて終わっているはず……きっと」
「?」
意味ありげなリンのセリフに首を傾げながらも、透き通る琥珀色をした紅茶にシキは見惚れ口にした。
するとシキは途端睡魔に襲われ、そのまま意識を手放した。
すやすやと寝息を立てるシキをそっと抱え、リンは自分の寝室にシキを寝かせる。毛布を掛けて頭を撫で、〝預かった〟という言葉どおり大切に扱うような接し方をするものの、リンの顔には慈愛の色が無い。昼間会った時や、花屋にいた時などの優しい面影などもなく、非情な目をして口角を下げていた。
そしてポツリと呟いた。
「……そう……もう終わりにしなくては……この手で」
低めの棚の引き出しからキツネの面を取り出すと、リンは迷わず外へ出た。
「ノアくん、君にひとついいことを教えてあげよう。地区長間と警察の上層部しか知らないことなんだけどね……赤地区長は目を切られる前に、持っていた銃でキツネの面を壊して顔を見たんだよ」
「えっ……!?」
「そいつの容姿は白い髪に青い目をした女。そう、君の働いていた店舗のオーナーのリンってやつが忌々しい化けギツネなんだよ」
「まさかそんな! だって私が見たのは……」
「騙されちゃいけない……キツネといえば化けるのが得意だからね。地区長に姿を見られたキツネは用心に面をつけながらもその下まで変装していたんだよ。ノアくんが見たのは変装したリンなのさ」