聞いた道を辿り、行き着いた家屋。ご丁寧な店の看板は無かったが、開口部から人が出入りするたび扉の上に付けられた呼鈴が鳴り、同時に「いらっしゃいませー」「またどうぞー」という声が聞こえてくる。ここが店であることの証明はそれだけで十分だった。
旅人が入店してみれば、中にいた客人が旅人を見るやいなや途端に笑顔で挨拶する。旅人はそれに応えるように軽く会釈するが、それでも周りの目は慣れなかった。大きく開かせキラキラと輝く目を避けながら旅人は真っ先に帳場へ足を進める。
「……保存が効く食料とかあれば……それを買いたいんだが……。あと軽食用のパンとか……」
「はいよ」
商品が陳列された棚はあるが、さっさと買い物を済ませたい旅人は入店早々に店主に欲しい品を要求する。自分で探すよりはだいぶ早く揃うだろう。そして背中にひしひしと受ける眼差しからも早く逃げられるだろう。
店主は後ろの部屋から缶詰をいくつか持ち出し帳場の上に置き、店内に並べてある長めのパンを一本取って紙に包み帳場に置いた。これでいいかい、と聞けば旅人は礼を述べて懐から所持金を出す。適当に硬貨を差し出したら半分の額を返された。
「ところでお客さんここいらじゃ見ないが、その格好からして旅人かい?」
「……ああ」
「やっぱりな。ま、国民の顔はみーんな覚えとるからすぐわかるさね。どうだこの国は。いいとこだろ」
「……そうだな。石を投げつけられるよりかはだいぶいい」
「ハッハ、そりゃそうだ。安心しな。この国では石をぶつけるような野蛮なやつも、邪魔扱いしたり除け者にする輩なんてのもいない。自由に観光してくんな。住んでもらってもいいんだ」
「……それはどうも。でもあいにく行きたい所があるんだ。そこに着くまでどこにも住む気はない」
「行きたい所って?」
「……この国の人なら知ってるかな……。実は──」
カランカラン。
旅人が自分のマスクを摘んだ瞬間、扉の呼鈴が鳴り客人が訪れた。
「おういらっしゃい。いつものかい?」
「うん」
来客を見てみれば、そこにいたのは頭を包帯で巻いた小さい子供だった。店主の言葉から常連らしきその子供は迷わず帳場へ向かう。一瞬旅人と目が合うが、興味ないようにそれだけで顔を逸らした。
「…………」
旅人にとっては初めてだった。この国で自分に対して興味のない眼差しをする人物は。
店主は用意していたかのように帳場の下からすでに包んである拳ほどの大きさをした丸型のパンを取り出し子供に渡した。子供は代金を支払うと、そのまま店を出た。
「おっと、旅人さんが先だったのにすまんね。あの子を見るとどうしても放っとけなくてすぐ対応しちまうのさ」
「……あの子は?」
旅人が尋ねてみると、店主は帳場に肘をつき、子供が去った扉を見つめながら言った。
「不憫な子だよ。物心つく前に親に捨てられたのか、親すら覚えてないままこの国に流れ着いてきたんだ。顔を見たくなくてああして隠してるらしい」
「……ふぅん……。顔、か……」
「親似の顔だから無意識に見たくないんじゃねえかな。ま、あくまで勘だけど」
ひらひらと手を振りながらそんなことを言う。旅人は軽く聞き流していたが、その言葉に反応したのは店内にいた客人の方だった。
「え? 私は火事に遭って顔を見せられなくなったって聞いたわ。両親も火事に巻き込まれて亡くなられたとか。噂だけど」
「いやいや。単に見せたくないだけだよ。それくらい酷い……おっと。人に見せられるような顔をしてないのさ。俺のこの鼻だって同じさ。だから隠してる。この国なら当たり前だろ? もしかしたらたいしたことないかもしれんが、まだ小さいし本人にとってはデリケートな問題なんだよデリケート」
あの子供の素顔についての議論は客人を巻き込んで賑わった。ただの憶測。根も葉もない噂。個人的見解。くだらない耳障りな騒音が飛び交う現状に旅人は眉間にしわを寄せた。
この国では劣等感について深く追及しないのがしきたりだったはずではないのか。居合わせない人物への詮索ははたしていいのか。旅人には理解ができなかった。
旅人は購入した物を腰にぶら下げた布袋にしまい込み、パンを手に持ってそそくさと逃げるように出ていった。
外に出た旅人はあたりをきょろきょろと見渡す。あの子供の姿は見当たらなかった。
「もしかしたら……あの子なら何か手がかりが……」
ゴーグルを上げて肉眼で見通してみるが、やはり姿は見えない。吹きつける冷たく乾いた風が目に刺さるように痛い。旅人はまたゴーグルを装着した。
◆
「お前は良い子だから大丈夫だ。そのまま変わらずいてくれ。悪い影響なんか受けなくていい。他のやつに惑わされないよう自分の芯をしっかり持つんだぞ。お前はお前のままでいいんだ」
「ああ。わかってる。大丈夫だよ」
「……っ」
「?」
「ごめん、ごめんな……」
「……」
「最後まで守ってやれなくて、ごめん……。俺は、俺だけはお前の味方だ……。だから……何かあったらいつでも帰ってこい……。今度はきっと、きっと……っ!」
抱きしめるその人の手は震えていた。
周りの人と同じで、本当は恐かったんだろう。
心のどこかで、怯えていたんだろう。
だから、
「──ありがとう、父さん」
もう帰らないって決めたんだ。
◆
家が建つ集落から抜け、国の外れと言うべきか岩肌が目立つ岩の影で旅人は腰掛け休んでいた。誰も寄り付かないような地帯だ。顔を見られることもない。旅人はマスクを口元まで下ろして購入したパンを頬張った。
「……〝人間、食べることをやめたら終わり〟……」
一口かじったパンを見つめぽつりと呟く。まるでそうしないといけないように。自分に言い聞かせるように。暗示のような言葉だった。
黙々とパンを食べ終えれば、腰の袋から水筒を取り出し水分補給をする。水筒を口から離すのと同時にぷはぁと息を吐き出すと、旅人は口の周りを拭いマスクを上げた。
「さて」
食を済ませた旅人は立ち上がり、人々が集う国内へ戻った。