ザッザッと土を踏みながら歩き、後ろを向けば一本の線と、二人の足跡がくっきりと残されている。音だけが無残に響き、寂しいような虚しいような感覚に襲われた。
「ノンちゃん、もう出る?」
いつか自分もこの空気に飲み込まれてしまいそうな居心地にシキはノンに聞いてみた。
歴史が止まったような国だ。旅の役に立つような物など残っていないだろう。急かすようにシキはノンをじっと見る。
「……そうだね。別の国にでも行って必要な物を探そう」
「うん!」
ノンもこの国に希望をかけるのはやめにし、次行く国に希望をかけることにした。
が、その時。
「ああ、もう行ってしまうのですね、旅人さん」
「!」「!」
背後から聞こえたその声に驚いて二人バッと振り返る。そこには、いったいどこにいたのか一人の女性が眉をひそめて残念そうに笑って立っていた。
服はやや汚れているようだが、それでも着るという役目はきちんと果たしており、膝まであるスカートも、原形はしっかり留めていた。セミロングの茶色の髪を一つにまとめ、左肩から前に垂らすように縛ってある。
「……あなたは……?」
警戒しつつ、ノンはその女性に問う。
「これは失礼しました。私、この国の長を務めさせていただいている者で、カジハと申します」
スカートの裾を持ち、深々とお辞儀をした後女性は目を開いてにっこりと微笑んだ。
カジハと名乗るこの国の長に、二人はカジハの自宅に招かれた。その家の外壁も周囲の家々と同様に所々ひびが入っており、中に入るやいなや歩く風圧だけで出入口の天端からさらさらと砂が舞った。それでも内装はまだ比較的形状を保っている。
間取りはノンが見てきた家と同様に、入ってすぐのホールは広い空間になっておりリビングも兼ねているようだ。壁際には数箇所穴があり、別の部屋が続いているのだろうと推測できる。
「どうぞお掛けになってください」
お掛けになって、と言うからには腰を下ろすための椅子かなにかを示しているのだろうが、二人が見たそれはやはりただの長方形をした土の塊で、布で覆われたソファーのようなやわらかい代物ではない。カジハはお茶を用意してくると言い残してこの場から立ち去って壁際に空いた穴の一つへ入っていき、土に囲まれた空間に二人は取り残された。
シキがソファーと言えようかそれに触れてみると、案の定手に砂が付く。座るのをためらい、どうしようかと目を細めては渋い顔が浮かぶ。易々と座ることはできないが、座らないままでいるわけにもいかず葛藤が続いた。その様子に気づいたノンがリュックから布切れを出して土の塊の上に広げた。
「……これなら平気?」
「あ、うんっ! ありがとう!」
そう言って、シキはようやく腰を下ろすことができた。見届けたノンも続いて土の上に腰を落ち着かせる。
その時、どこからともなく声が聞こえてきた。
《主よ……外から来た主らよ……何ゆえ此処にいたりてか……?》
耳を突き抜け頭に響くような低く重い声。重ったるい残響が抜けずノンは顔をしかめた。
《主らは誠に正直か……? 真なる誠と誓おう者どもか……?》
どこから聞こえてくるのかはわからない。しかし、聴けば聴くほど気分が悪くなる。底から湧き出るかのような、深く、重く、まるで胸や頭を直接貫いているかのようだった。
「……っ」
頭に痛みを感じ左手で押さえつけるが、痛みが消えることはない。
「ノンちゃん?」
ノンはハッとしてシキに顔を上げた。自分が痛がっているわけにはいかない。シキを守らなければ。そう思ったのだが、
「どうしたの? 具合悪くなったの?」
シキが痛がっている様子はない。それどころか、ノンが逆に心配されてしまった。
「……シキは、聞こえない?」
「えっ、何が?」
きょとんと首を傾げるシキ。とぼけている様子もなく、どうやらあの不気味な声は聞こえていないようだった。不可解な現象に一瞬だけ内心戸惑うが、シキの反応からノンが取る行動はただ一つ。
「……いや。なんでもないよ」
シキに合わせることだった。不安を与えるわけにはいかない。ノンは頭から手を離して平然を装う。するとまた声が聞こえた。
《ふむ……それは真の正直者の言葉ではあらぬな。しかし誠ではあるわ。──おもしろい。それもまたよきかな……》
ノンは頭に響き渡るこの声を無視することにした。
しばらくして奥の部屋からカジハが石でできたお盆に、同じく石でできたコップを三つ載せて戻ってくる。
「どうぞ。すみませんね、この国が廃れてしまってから水の出も悪くて……。お口に合うかわかりませんが、お茶というものです」
石でできたコップに入ったそのお茶は、茶色く濁っていた。元からのものなのか、古びているのかわからないが、そんなお茶を簡単に飲むことはできなかった。さてどうしようかと、シキがまた渋い顔をしていると、ノンが先に一口お茶を飲んだ。
「……けっこう濃いお茶ですね。おいしいです」
「よかった」
ノンが感想を述べ、カジハは手を胸の前に合わせて嬉しそうな素振りを見せる。飲んでも無害なことをノンが示すと、シキは覚悟を決めて飲んでみた。身構えるまでもなく、ちゃんとしたお茶だ。
「……おいしい……」
「お譲さんにも喜んでもらえて何よりですわ。あら、そういえば名前を聞いていませんでしたね」
「自分はノンです。渡井ノン。こっちは妹のシキです」
「どうもー」
「改めてノンさんシキさん、私はカジハと申します。どうぞよしなに。お二人はなぜこの国に参られたのですか?」
カジハはお茶をすすりながら尋ねる。歓迎を含んだものではなく、どうしてわざわざ、とでも言いたげな怪訝な口調だった。すでに滅びたような観光のしがいのない国だ。訪れた目的を問うのは当然だろう。
「占い、というものが盛んと聞いてこの国に来ました。来るときすれ違った人から何も無いと聞いたのですが、一応見ておこうかと……」
「そうでしたか……。口ぶりから、お二人は占いというものをご存じない?」
「自分たちがいた国では聞きませんでした」
返答にカジハは微笑みながらコップを卓上に置く。そして一から説明しようと姿勢を正し直した。
「今後の運勢や未来起こりえる出来事を視て予言することやその方法を占いと言います。簡単なもので血液型や誕生日からその人の運勢を視たり、道具を使った方法もあります」
「未来がわかるの?」
「必ずしもとはかぎりません。起こりえる運命の繋がりを視るのです。運命はちょっとしたことで変わりますし、もし悪い未来なら事前に対策をすることで結果を変えることも可能なのです。……たとえば、ノンさん手を出してもらってもいいですか」
口で説明するより実際にやって見せたほうが早いのだろう、いまいちピンと来ていないらしい二人のためにカジハはノンの手を取り観察する。手のひらを表に上げ、カジハはまじまじと見ては頷きを繰り返すが、やはりノンとシキから見たらカジハが何をやっているかわからず、ノンの手のひらやカジハの顔を交互に見た。
「長生きしますね。生命線がとても長く出ていますよ。でも無茶もするでしょう。不吉な線も同時に出ています。あまり無理をなさると早死にしてしまうのでお気をつけを」
「……はい?」
十分に観察したカジハは手のひらからノンの顔へ目線を上げ、つらつらと語る。しかしそのお告げをすぐ理解することはできず、ノンは疑問符を返した。シキも同様に、ぽかんと口を開けている。
「今のは手相占いと言います。手にあるこの線からその人の性格や行動を読み取り、未来起こりえる傾向を見ます。簡単なものなので子供がよく行なっていた占いですかね」
「手を見ただけでわかるの?!」
「はい。簡単なもの程度ですが」
「へぇー!」
シキは関心を示し、自分の手のひらを胸の前に出してノンの手のひらと見比べる。たしかに手のひらに線は入っているが、どう違うかまではよくわからないようだった。違ったとしても、それが何を表しているのかもわからない。
自分にはわからないが、カジハには自分たちに見えないものが見えていたのだろうと、シキはすごいすごいと感嘆の声を繰り返しながら目を輝かせる。
はしゃぐシキにカジハはくすりと笑い、説明を続けた。
「たしかにこの国では日常的と言っていいほど占いをしていました。今お見せしたような一般的なものから、占い師の技量によっては誰も真似できないような、高度な占いをなさる方も。この国特有の生まれ持った力なのか、占いの結果が高確率で当たり、噂を聞きつけた旅人さんもよくいらっしゃっていました」
「そんな国が、どうしてこんなことに……」
それほど好評なら今頃この国はもっと賑わっていただろう。国民も、他の旅人だっていて活気が溢れているはずだ。それなのに、国を散策したノンとシキの目にはそんな痕跡も印象も微塵も見られなかった。
ノンの問いにカジハは一呼吸置いてから静かな声色で答えた。
「はい……。皮肉にもその占いのせいでこの国は滅びたのです」