「……もう二年か……」
「お兄ちゃん?」
朝になり、僕はベッドから出て壁に掛けられたカレンダーを見つめた。今日は僕が記憶や視力を失って目を覚ました日だ。
時間の流れは早いものであの日からもう二年も経つ。それなのに僕の記憶はいっこうに戻らなかった。だが今はもうそのことなど気にしていない。今を生きているのだから、それだけで十分だ。
「学校行くよ?」
カレンダーを見つめる僕に□□が声をかけ、僕は振り返って笑って返事をした。
「うん」
学校に行く途中、ユリとトモに会った。
「おはよう。□□ちゃん■■君」
「おはよ──うっ!」
僕が挨拶しようとすると、トモが走りながら肘で僕の首を絞めてきた。僕は避けることも防ぐことも間に合わず、勢いに乗って地面に尻もちをついてしまった。
「はっはっは! よぉ、■■に□□」
「げほっげほっ。相変わらず嫌な挨拶だなぁ。もう少し手加減してよ」
「修行が足りないんだ! 修行が! ■■ももっと力つけろよな。そのままいくとガリガリのガイコツになっちまうぞー」
嫌味ったらしくトモはにやにやと笑って言う。少しムッとしてしまうけど、それが僕らの挨拶のようなものになってきて慣れてしまった。□□もユリと挨拶してるくらいで、やはり時間は経ったのだと実感が湧く。
「今日は校外学習なんだ。一日中勉強しなくてすむから楽だぜ」
「でも学習でしょ? 結局は勉強じゃない?」
嬉しそうに話すトモに、□□がもっともな意見を述べる。
「それはそーだけどよ。今回はもっと面白いことなんだ。なんかな、『偽人』の生まれるまでを勉強しに行くんだと」
「偽人?」
「何ソレ?」
「お前ら習ってないのか? 授業でやったりとか」
トモが意外そうな顔を向けるが、僕と□□は首を横に振る。
「私はトモ君から聞いて知ってはいたけど、特別学級じゃ習わないよね」
「へぇ。まあ、一般の学級でも一年に数回しかない授業だからな。昔は十二歳の生徒だけしかやらないとかあったみたいだし。特別学級じゃそこまでやらないのかもしれないな」
「ふぅん」
と、僕は返事をしておいた。でもなんとなく偽人っていうのが気になるな。
「僕、偽人について詳しく知りたいな。トモ教えてよ」
「おぅ。いいぜ」
学校に行くまで、簡単にだが偽人について聞かせてもらった。
〝偽人〟とは、人間ではないヒトの形を成した者。いわば、人間になれなかった〝なりそこない〟なのだという。数百年ほど前に、動物を人間に変えようとした研究者がいたらしく、その結果の産物らしい。生涯かけて研究をしていたが、結果として生まれたのは完全な人間ではない偽物の人。通称『偽人』。
そして今もなお、研究は継がれており完全な人間に変える研究が続いているんだそうだ。
「完全な人間じゃないって、どこが完全じゃないの?」
「詳しくは知らねえけど、目が違うってさ。遺伝子を組み替えた作用で目の色が人間と逆になってるらしい。どんなのか見てみたいなぁ」
と言いながらトモは流れるように僕の顔をじっと見る。
「……な、なに……?」
顔をしかめていると、トモは僕の眼鏡をひょいと取り上げ、僕の目をじーっと見つめてきた。
「ちょっと、近いんだけど……」
「んー」
視力の低い僕でも、これだけ顔が近ければ相手くらいわかる。トモは目を凝らしてまっすぐに僕の目を見てくる。
だがすぐにトモはつまらなそうな表情を見せ、眼鏡を僕に掛け直した。
「残念。■■の目は普通だった」
「当たり前だろ。人間なんだから」
トモが適当に戻した眼鏡をちゃんと掛け直し、呆れるように言ってやる。
「ほんとトモ君失礼だよ」
「ハハ。悪ぃ悪ぃ」
「そもそもさ、目の色が反対ってどんな感じなのかな」
「さあ? 白目が黒で、黒目が白とかじゃねえの」
「……想像すると怖いな。でも実際にそんなこと可能なの? 完全じゃないにしろ人間のように姿を変えるなんて。しかも昔に……」
「それができるらしい。なんでも、その最初の研究者が森に棲む神聖な生き物と会って知識を授かったとか」
「神聖な生き物って……」
「詳細が無いんだと。古い研究書にそういう情報は載ってるけど、存在に対しての記録が無いらしい。神聖だから書き表せなかった説もあるけど」
「いまいち信憑性がないなぁ」
「だよなー。でもこの話には続きがあんだよ」
「続き?」
「続きというか、裏というか……。聞いたことあるだろ? 森に棲む化け物の話」
「えっ」
森に棲む化け物……お母さんから聞いたことがある。
この国は広大な森に囲まれていて、国民はこの森を抜けて外へは出られない。森が深い可能性ももちろんあるが、外へ向かってまっすぐ進んでいたはずが、国に戻ってきてしまうんだそうだ。それは森の中に化け物が棲んでいて、不思議な力で閉じ込めているからだという言い伝えがある。話の真意は定かではないが、外に出られないのは事実で、おそらく国民のほとんどが知っていることだ。
「それが……何か関係あるの?」
「ありあり大あり」
──森に棲む生き物と出会った人間は研究を進めたが、知識があっても人間の手による研究や技術では不完全だった。そしてそこで研究の糧にされたのが、神聖であるはずの生き物だった。その生き物は手を貸した代償として姿形を変えられ、化け物に成り下がってしまった。
化け物となったその生き物は、今でも国を包むように立ち塞がる森の中に潜み、人間をこの国に閉じ込めていると伝えられている。
……なるほど。化け物と呼ばれる存在が噂になっていること自体が、偽人という実際研究されている証でもあるわけか。
「朝からそういう話やめてよぉ」
抗議の声を訴えながらユリは顔をしかめてポカポカとトモを叩く。いつの間にか□□も僕の腰にしがみついていた。
森に棲む不気味な化け物という正体不明の存在だったものが、偽人という実際にある研究のおかげで現実味を帯びさせる。今もいるかもしれないとなると、まあ怖くもなるか。
「えー聞きたいって言ったの■■の方なのに」
「まあまあ。偽人自体どこにいるかもわからないし、研究だってどこでやってるかもわからないし。研究自体嘘かもしれないよ」
「嘘じゃねえって!」
「じゃあ偽人ってどこにいるの?」
「それは知らん! そういう話はあんまり言いふらしちゃいけないんだと! 極秘で研究してるから!」
「……うん? 僕たちに色々話してるのはいいの?」
「……。……あー……。忘れて?」
「うーん無理かな」
その後学校に着くと、校庭の方へトモは向かっていった。校外学習に行く対象であるトモの学年は朝から校庭に集まって、集団で校外へ行くらしい。いったいどこへ向かうのだろう。特別学級にはそういう行事みたいなものがないからちょっとトモたち一般学級がうらやましい。
特別学級ではまたいつものように勉強をして、体育と言えるだろうか運動をしたりして過ごす。勉強はだいぶわかるようになり、僕も低学年に教える立場になっていた。先生からは、お母さんから予め聞いていたという元の学力に追いついていると褒められ、満更でもない気分だ。もっと頑張れば一般学級に行けるのだろうかと以前先生に聞いてみたら、
「えっ、一般学級? あぁ……うーん、■■君はちょっと難しいかな……。ほら、この学級には■■君を頼ってくれる子もいるでしょ? いなくなっちゃうと寂しくなる子も多いの。だから……ねっ? そんなこと考えないで。ここでみんなと仲良く過ごしましょう」
と、遠回し気味に断られ、なんだかはぐらかされた感じがした。特別学級も楽しくないわけではないし別にいいんだけど、歯切れの悪い口振りからそれ以降聞いていない。
授業が終わる頃、校外学習に行ってきた一般学級の人は帰ってきた。朝のように一度校庭に集まって、先生から帰りの連絡を受けてから下校するらしい。ユリが校門でトモを待つため、僕と□□も同じように待っていた。
連絡が終わると下校する人の波がぞろぞろと校門を通り過ぎる。トモを待ちながら流れる人を眺めていたのだが、関心を持ったのか爛々と目を輝かせるする人や、なぜか暗くなっている人がいたりと、校外学習の内容への感じ方は個人差が生じるようだ。
行く前楽しみにしていたトモはどんな反応を示すだろうかと、ちょっと楽しみのような心配のような気持ちで待つ。
「おーいたいた。三人とも待っててくれたのか」
人の波からひょっこり現れたトモはいつもと変わりなかった。ちょっとつまらないかな。
「すっげーぞ! 偽人が作られる場所、どこだと思う!?」
「え? どこか研究所みたいな場所があるとか……」
帰宅しながら興奮気味にトモが話し出す。朝あまり言いふらすことではないと言っていたくせに、もう忘れているようだ。僕は止めなかった。
「そうそう! でもこの国にそんな場所無いからよ、オレどこだろうなーってずっと思ってたんだよ。そしたらさ、なんと! 病院の地下だったんだよ!」
──え。