──〝偽人ファルスーロ〟  それは、昔一人の人間が夢描いて出来た悲劇の産物。  人間は動物と心を通わせたかった。傲慢にも動物が人間と同じように話すようになればと思っていた。傲慢を糧に、来る日も来る日も研究した。その結果、研究は失敗し、なりそこないが生まれた。  人間は寿命が尽き、研究も断絶せざるをえなくなった。  が、人間の死後。  人間の研究資料を見た他の人間が興味を持ち、研究を再開してしまった。   「我は……我はなぜ……このような姿にされなければ……ならぬかったのか……。なぜ選ばれたのが我だったのか……?」 「ちょうどいい実験材料にでもなると思ったのだろう」 「我は……裏切られたのか……? 今まで……ずっと……、ずっとこの森のために生きてきたというのに……っ」 「…………。冷えるだろう。これでも纏うといい。少しは寒さが凌げるはずだろう」 「ひっぐ……うっ……」  洞穴の主は白蛇に質素な服を渡した。袖の無いワンピース。腕を通す口から前面と後面の二枚に分かれており、上部の端同士を両肩の上で縛ることで服を身に合わせる。裾が少し長かったため、腰にリボンを巻いて長さを調整した。  着終わったが依然として寒いことには変わらない。白蛇は自分の腕を抱いてうずくまった。 「……すまないな……私にはこれしかできない」  洞穴の主はそう言って白蛇の肩を抱き密着した。 「のう、主よ……、主も我と同じ、か……?」  見上げる顔は憂いに溢れ、同じ境遇の者だという共感を願い期待を信じる眼差しをしていた。同じ者ならこの気も少しは晴れるだろう。思いを分かち合えるだろう。そう思って。 「同じであり同じではない。私は研究の元凶だ。私が人間に手を貸したせいで中途半端な結果を導き、捲るめく時を越えお前を巻き込んだ」 「…………」 「恨むか?」 「……否」  同じ犠牲者ではあったが、加担者でもあった事実に白蛇は顔を伏せた。 「恨めばいいものを。私がこれを招いた。縛られ姿を変えられ、何も思わないのか」 「恨むことはせぬ。この姿を招いたは己が愚かだったからであろう。我は……主が言ったように自惚れてた……。己の責を他者に押し付けるなどせぬよ」 「……そうか」  人の身に変えられ、慣れない体で動き疲れた白蛇は、体重を洞穴の主に乗せて熟睡した。  次の日はよく晴れた。清々しい天気だ。白蛇は外に出て陽の光を浴びるが、昨晩の雨で出来た水溜まりを覗けば、そこに映る人物に先日の出来事が嘘ではないと思い知らされる。  瞬時に表情を曇らせた。 「夢では……ないのだな……」  自分の両の手を前に出し、指を折ったり伸ばしたりを数回繰り返せば、この身が紛れもなく自分のものだと実感する。  白蛇はこの体を慣らすためゆっくりと森の中を巡回した。自分はこんなにも変わってしまったというのに、森は依然平和だ。鳥たちはやさしく美しい声色でさえずり、穏やかな風は木々の隙間を吹き抜け、木漏れ日がぽつぽつと地を照らす。  いつもと変わらない。  変わらないゆえ、白蛇は痛感した。 「我は……何も見ていなかった……」  自分がこの森を守っているのだと日々見回っていた。しかし白蛇がいなくとも森は平和だ。そんな中をあたかも自分のおかげで平和が保たれているのだと自惚れていた。  愚かだ。  白蛇は自分を恥じることを知る。  森に棲む者らはみな白蛇を讃えている。自分は優位で特別な存在。  だがなぜそうなったのだろうか。  容姿が他者と比べて逸脱しているから? そのせいでみな距離を置き、白蛇の存在が際立っただけでは?  それもあるだろう。だがもっと根本があるはず。  一体いつからこうだったのか、それはどうにも思い出せなかった。頭の片隅に引っかかる何かが、この身になってからくすぐりだす。きっとそれが、自惚れた原因なのだろう。 「何かを……ずっと忘れている気がする……。誰かに教えられた……。誰に? 何を?」  巡る思考。それでも答えには辿り着けない。  白蛇は忘れた何かを勘違いして、自分が特別な存在なのだと言い張っていた。森の者たちはそれを信じた。  そしてはっとする。  森の主? 特別な存在? 「──誰もそんなこと言っておらぬではないか……っ!」  白蛇が言い始めたことだった。特別な力なんて持っていない。森の者らは、逸脱した白蛇の容姿から、それを信じただけだ。  白蛇自身も信じて疑わなかった自分の生き方。思い上がって周りを巻き込んだ。自分がいなくても森は平和なのに、傲慢に踏ん反り返っていた。勘違いも甚だしい。  省みた。裏切られて当然だ。膝から崩れ落ち、地面を掴んだ。  今日はとてもいい天気だ。それなのに地面には雫が降り注ぐ。   白蛇はすっかり大人しくなり、洞穴でひっそりと日々を過ごした。 「つまらなくなった」  洞穴の主からそんな言葉を浴びせられても、白蛇は自信も自分の存在意義も取り戻すことができなかった。  数年経ったある日のこと。  森に実る少量の果実で白蛇は腹を満たして洞穴に帰ろうとすると、小さい子供が洞穴に入っていくところを目撃し思わず木の陰に隠れた。  背丈から六歳くらいだろうか。山吹色の肩ほどまである長さの髪を後ろに一つで縛り、横髪を左右の耳に二本ずつピンで留めていた。  子供が洞穴の中に入っていくと、白蛇は洞穴の入り口に手をつけ暗がりで見えない奥を見つめた。  しばらくして声が聞こえる。 「ふ、よく生き延びたな」 「おかげさまで」

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