「キツネって悪い人なの? 緑を守ろうとしてるいい人なの?」 「……どちらとも言えず、かな」  審査官からもらった地図を見て歩く二人だが、歩く最中でもキツネの話題が絶えなかった。  外でもキツネの話。中でもキツネの話。キツネと呼ばれる存在は、この国に訪れたばかりのノンとシキにまで影響を与えてしまう、それほどまでに大きなものだった。  地図によると現在二人のいる場所が、つい最近キツネが現れたという青地区で、国の北西に位置している。並んで北東に赤地区、南東に黄地区、南西に緑地区、そして国の中心に円の形で区切られた白地区があった。  国には路面電車と呼ばれる地上に敷設された軌道を走行する電車があり、この電車を利用することで各地区への移動も楽にできるようだ。地区間の交通手段に電車を用いられるくらい国の広さは地図を見ても一目瞭然で、そんなに広い国でも新聞売りの少年が言っていたようにすれ違う人々は全員バッジを身につけていた。 「そういえばノンちゃん。私たちは今どこに向かってるの?」 「白地区」 「白……白?! 白地区が一番危ないんじゃ……」 「中心部であり改革派が多いって言ってた。きっと備えが充実してるはずだよ。旅に必要なものとかたくさん見つかるかも」 「あ、そ、そう……。そうだ、ね……」 「……嫌ならやめるけど……」 「全然! ノンちゃんと一緒なら大丈夫! うん!」  シキの引きつった笑顔をノンは見逃さなかったが、歩みを止めることはなかった。  近くの駅に向かい、さっそく二人は路面電車を利用することにした。駅に停まった電車の先頭から乗車し、車掌と軽く会釈をする。車体に並行沿いに設けられたシートにノンは腰を落ち着かせるが、初めて乗る電車にシキは興奮し大きく口を開けて車内を見渡しはしゃいだ。危ないよ、とノンから注意されても昂った興奮を抑えきれず、上機嫌な足どりのままシキはノンの隣に座った。  車体が動き出せばシキは座席に膝をついて窓枠に手を添え、流れる外の景色を見送る。ぱぁっと明るい表情と目を大きく輝かせるシキに、どことなくノンの表情も穏やかだ。 ──ギッ 「!」  突然ノンは殺気に似た視線を感じ、シキから顔を離しバッと振り返る。乗客は向かいの席に座った女性しかおらず、ノンはその人物をじっと見つめた。黒い髪をしたノンと変わらなさげな歳の身の少女。ノンの視線に気づいたその少女は目を開き、怪訝そうに首を傾げる。 「あの……なにか……?」 「…………」 「ノンちゃんノンちゃん見て見て!」  シキの声にハッとし、ノンはシキに顔を向け直した。 「どうしたのシキ」 「ほらあれー!」  ノンはシキの指す方へと顔を向けたが、先ほどの殺気が気になるのか視線だけは後ろに注意を向けており、シキの声も耳に入らなかった。  感じた殺気はノンの警戒心を掻き立てたが、最初のもの以降は何も起きず、景色を見ていたシキはいつの間にか熟睡してしまった。外へ体を向けたまま寝ているシキの体勢を正面に直し、自分に寄りかかるようにノンはシキの肩を抱き寄せた。いい夢でも見ているのかシキは穏やかな笑みを浮かべており、ノンは無意識に警戒の糸を緩めた。  すると、突然バリィイインという高い音が響いた。 「きゃぁあああ!!」  視線を上げて見てみれば、向かいの少女が座っていたすぐ後ろの窓ガラスが割れたらしく、少女は頭を抱えてうずくまっていた。車掌はこの事態に気づいていないのか運転を止める様子もない。今の音でシキは起こされ、重たい瞼を半分開けて目を擦った。 「今の……何の音……?」 「わからない。それよりこれを止めないと。──すみません!」  ノンは車掌に呼びかけ電車を緊急停止してもらった。  少女は頭を抱えて体を震わせている。よく見れば少女の胸元には改革派のバッジ、そして左手には包帯が巻かれている。目線をずらせば少女の席の隣にカードが刺さっていた。そのカードを抜き取ると、なにやら文字が書かれてある。 「『白地区崩壊は目の前に。光栄な者よ、その刻を待ち望め』……なんだこれ……」 「もうイヤ! なんで私がこんな目に……っ!」  少女の台詞からしてなにか関係しているのか、と疑問が頭の中を巡るよりも前に、ノンはまた殺気のような視線を身に感じた。彼女は怯え震えているし、車掌は警察に通報しているため違う。それならば、 「屋根の上……?」  ノンは割れた窓から頭を出して屋根を見上げるが何も無い。殺気も消えた。電車が止まってしまったうちに犯人は逃げてしまったのだろうか。 「予告状に手の怪我……。──君、もしかして昨晩キツネに襲われた、っていう子かい?」 「え? そ、そうですけど……」  頭を引っ込めながら、ノンは車掌のキツネ、という単語に耳を向けた。 「じゃあ今のもキツネが……真昼間から現れるなんて聞いてないぞ……! 警察は呼んでおいたから早く外に出てくれ。巻き込まれるのは御免だ!」 「──ッ……、はい……すみませんでした……」  邪険に扱われた少女は唇を噛んで目を伏せ、包帯で巻かれた手をさすりながら急ぐように電車から降りていく。 「ノンちゃん……」  何が起きたかわからず、困惑と不安なさまを混ぜて寄り添うシキをノンは撫でて手を握る。車掌はブツブツと嫌味な小言をこぼしながら割れた窓を見てため息をついていた。 「あの人がいったい何をしたというんですか」 「え──? いやだって……」 「あの人はただの被害者だ」  ノンは車掌を睨みつけながら、圧をかけた強い言葉を浴びせ電車を降り、先ほどの少女の行方を追った。 「ノンちゃんどこ行くのー」 「さっきの人を捜さないと。きっとあの人は……いた!」  思いの外早く見つかったその少女は路地に入ってしゃがみこんで震えていた。ちらちらと通る通行人は気にする者もいれば気に留めない人もおり、しかし声をかける様子は誰にも見られなかった。そんな中で、ノンはゆっくりと少女に近づき手を差し出す。 「あの……」  ノンの声に肩をビクリと震わせ、ゆっくり振り返ったその子は泣いていた。 「──っ、」  目にはたっぷりの涙を浮かべ、ビー玉でも埋め込まれているかのように、潤った瞳が黒色に輝いており、繊維のように細い髪はサラサラと風に流れて光を受け煌びやかに見えた。間近で見ると彼女の顔立ちの良さに気づかされる。 「ぁ……。大丈夫、ですか……」 「……あなたも私といるとキツネに襲われますよ……」 「えッ! キツネ!?」 「シキ」  皮肉に嘲笑しながら少女が言うと、キツネという単語にシキはビクッと反応し、首を左右に振り周囲を確認する。しかし案ずる必要なく彼女の忠告とは裏腹にそれらしい人影は見当たらなかった。 「キツネは来ないよ。来たとしてもシキに危害なんて加えさせない。何があろうとも」 「……たいした自信ですね……あなたは何もわかってない……。キツネがどれほど危険なものか」 「キツネは旅人を襲わないらしいので大丈夫ですよ。旅人を襲ってもこの国の評判が落ちるだけ」 「……あなたは旅人……なんですか……」 「はい、まあ……」 「旅の方がなぜ私を追いかけて来たんです。わざわざ慰めるため……?」  少女の疑問はもっともだった。キツネに怯むこの国で、なおかつキツネと関わりのある少女に誰も手なんて貸すはずがない。そうでなくても、通行人は一人の少女が泣き蹲っていたところに声すらかけてはくれないのに。 「……それもなくは、ないですけど……話を聞きたくて。キツネのこととか」 「えっ……。正気……?」  少女は冗談じゃないかと苦笑混じりに聞き返すが、ノンは頷いた。 「知っておきたいんです。この国に来たばかりなので、キツネの行為に事情というものがあるのなら聞いておきたい。どれほど危険なのかも」  ノンの顔に冗談の色はなかった。からかっているようでもない。あくまで純粋に、真面目に話を聞きたいようだ。少女は少し躊躇いつつも、ノンの真剣さを受け取り唇を噛んでから語り始めた。  事件があった昨晩。キツネの被害に遭ったこの青地区に、白地区在住の一般区民である少女──ハクノアは出張で訪れていた。仕事で取引先との話に長引いてしまい、帰りの途中で青地区襲撃後のキツネと鉢合わせし襲われた、とのことだ。 「電車は運行してなくて……歩ける所まで歩こうと帰る途中だったんです……。それが……こうなるなんて……っ」 「……なぜキツネはあなたを……それも昨日だけでなく今日も襲ったんでしょう……。襲われるのは地区長やその周りの人と聞いたんですが」 「それは……──」 『まさかこんな遅くなるなんて……もうどこも電車なんて動いていないしせめて駅の近くに泊まる場所があれば……』  そう夜道を歩いてるいる時でした。突然、警官の声が聞こえたんです。 『キツネが出たぞー!』 『キツネ……!?』  辺りを見渡してみると、建物から建物へと飛び移る影が見えました。その影がきっとキツネなんだろうと、私は早くこの場から離れようと走ったのですが、建物を飛び回っていた影は私の目の前に降りてきたんです。キツネの面をつけた人。一目でキツネだとわかりました。 『──キャァアアアア!!』  驚いた私は思わず大声を上げて逃げました。キツネは一般人には手を出さない。そう聞いていたのに振り返ればその人は私を追いかけてきて……私は恐くて恐くて……無我夢中で走って路地の裏まで駆け込みました。 『はッ、はっ……──ッ!!?』  しかしまた不運なことに、路地の先は壁で塞がっていて行き止まりになっていました。  コツ、コツ、と響く足音に振り返ると、キツネは私にゆっくりと近づいてきました。 『わ、私に何の用ですか! 私はあなたに狙われるようなことなんて……』 『関係ない。誰でもいい。腐ったこの国を止めるには知らしめないといけない。上を動かすには、犠牲を出さねばならない。光栄に思え。其方は選ばれたのだ。この国を取り戻すいしずえとしてな』 『な、なにを……』 『恨むなら、白を恨め』 『い、いやあああああ!!!』 ──バシンッ 「ナイフを突きつけられた私は勢いで手を出してしまって……その時にこの手を怪我したんですけど、ちょうどキツネがつけていた面にも当たって……」 「面が、外れた……?」 「……はい……っ。性別はわかりませんが、黒色の髪と目をした方でした……。大声を出したおかげで警察の方々が気づいてくださってキツネは逃げ去りましたが……警察に容姿のことを話した私を恨んで捕まる前に殺そうとしているかもしれません……」 「…………」  ハクノアの言葉にノンは顎に手を当てて考え込んだ。 「ノンちゃん?」 「──あぁ……。……なんでもない」 「旅の方、話を聞いてくださったということはもしかして私を護ってくれるんですか?」 「え……。あ……そうなる、のか……。いや、自分は別に……」 「お願いします助けてください! このままじゃ私、私……っ……」 「ですから自分、は……」 「……ぅっ……ひっぐ……」 「…………」  しがみつかれ泣かれてしまったノンはどうすべきかわからずシキに顔を向けると、あれほど危険な真似はやめてほしいと言っていたシキが、ハクノアに同情したのか救いを求めるような眼差しをしていた。 「……あー……まあ……えぇ、と……は、い……」  ハクノアの助けに応えるノンの顔からは、いつものような感情の無いものではなく、どことなく困惑したさまがうかがえた。

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