劣等達の建国
-It is wonderful individuality-
その昔、茶色のフードマントを纏ったみすぼらしい旅人がいた。フードをかぶり、顔を覆い隠すようにマスクとゴーグルを装着しており、なんとも素性を知られまいとする風貌。旅行く先々で彼の人は怪しまれ、しばし歓迎されないことも少なくなかった。
ある寒空の続く乾いた風が吹く大地。辺りはごつごつとした均されていない地面や多くの岩々。ぽつぽつと疎らに生える木々はなんとも寂しい。
歩き続けると、国境も無しに点々と家々がそこらに建ち始めた。木造でできた床上構造の少しボロい家。旅人は歩みを止めることはなかったが、旅人を見かけた老人がひとり、杖をつきながら近寄り声をかけた。
「もし、旅の方。入国手続きはすんだのかえ」
その問いに旅人は答える。
「……ここは国なのか? すまない、まだやっていないな。手続きとやらはどこですれば?」
「案内してさしあげましょう。ささ、どうぞどうぞこちらへ」
その老人は、杖つく手を包帯で巻いていた。
「〝国をつくる〟?」
「左様! 誰も差別を受けず、誰もがありのままで生きられる、そんな世を作るためこの国ができたんじゃ」
老人に案内され、周囲の家よりも少し豪華な装飾を備えた屋敷へ旅人は招待された。老人はどうやらこの国の建国者という。その建国者から入国手続きを受けると思いきや、旅人はこの国の歴史を聞かされていた。
「ふーん……ありのまま、ねぇ」
「たとえばわしはこの手が憎かった。歳を取ると必然とはいえ、年老いた証のしわくちゃなこの手が憎い。ゆえにわしは布を巻いて隠したんじゃ。これで見ずにすむ上、他の者からも見られずにすむ。劣等感を抱かずに生きられるんじゃ」
「……それ、本当にありのまま?」
「劣等感が無いということは、人と比べる必要がないということ。人より劣っているなどと思うことがなくなれば、周りの目を気にする必要もない。人と比較して病むこともない。心身共に傷を負わず、普通に生きられるということは、ありのままの姿じゃろう」
「……。あー……。なるほど……。そういう解釈もできるのか」
「わしが昔いた国はそれはもう酷いもんじゃった。人と人を比較して、やれ自分が上だの、お前は下だの罵り嘲り嘲笑い……けしからんったらないわ! 罵られたやつはどうなると思う? 自分の意見も主張できずただただ隠れるように生きるばかり。だからわしはそんな国出てやった! 同じ思いを寄せる同志と共にの。噂を聞きつけた異国の者も少しずつ移住してきて皆平和に暮らしとるよ」
熱く語る老人による国の成り立ちに、旅人は特に関心の意は見せなかった。
「……それで、入国手続きって……」
旅人にとっての本題はこれしかないのだ。
「この話を聞くことが手続きみたいなもんじゃよ。まだ国として認められてはおらんが、旅人殿も国民の生き生きした姿を見て世に広めてほしい。この国がどんなに素晴らしいかを! これが入国する条件じゃよ」
「……なるほど」
「旅人殿なら移住も喜んでお受けするがの。見たところその目や口、もしや髪もか? 隠さんとする出で立ち! わしらと同じ……いやいや言わんでいい! わかっとる。じゅぅぅうぶん、気持ちはわかる! 深くは聞かぬがこの国のしきたり。誰も何も言わぬよ」
「……。はあ。それはどうも」
「そういえば旅人殿の名を聞いておらんかったのう」
「……名──」
「いやいやそうかそうかわかっとるぞ、もちろんじゃとも! 親に与えられた名を嫌う者もこの国におる。無理して聞いたりなどせんよ」
「…………」
話を聞き終わった旅人は屋敷から退出する。国と呼ぶにはあまりに小さく、一つの集落と言った方がまだ正しい規模の土地。この土地に住まう人々は、たしかに身体の一部を隠すような装いをしていた。身体を隠していないかと思いきや、声に劣等感を持っているのか紙に直筆して挨拶をする人もいた。
「腹減った」
──といって、旅人がたいして気に留めることはないが。
空腹を訴えた旅人は飲食を購入できる店はないかとすれ違う人に尋ねる。
旅行く先々で怪訝された旅人は、この国では大いに歓迎された。
「この先の店は品揃えが充実していますよ! ええまあ発展途上国、ということもあって祖国や旅人さんが巡った国々と比べたらたいしたことないかもしれませんが、安価なのはたしかです! よければ案内しましょうか!」
身体の一部どころか全身隠すような旅人の格好は国民から共感を得るようで手厚いもてなしを受ける。しかし旅人にとっては普段とあまりに真逆な対応。厚意と共に爛々と輝かせる目にはどうも慣れなかった。
「いや……、それだけ聞けばわかるよ。ありがとう」
「どうぞごゆっくり!」
手を振って見送る相手はとびっきりの笑顔だ。旅人はその表情すら慣れなくて、背を向け歩き出したところで顔を向けないまま手を振り返した。