再生 -Revival-
遠い昔。頬に三角の模様を入れた少女が歩く。水色に光を帯びる白髪は、横髪は長くうねっており、後ろ髪は歪に短かった。簡易な服を着ており両肩上で前面と背面の生地を結んで身に合わせ、腰にはリボンが括られてある。靴は履いておらず、堅い地盤を進む素足は痛々しく汚れている。
少女がたどり着いたのは二つの国の境界。二つの国を石塀で区切り、その塀の前に彼女は立っていた。しばらく考え込みながら両国を見上げると、西の国だけ塀より高く木々が育っている。少女はその国に足を運んだ。
門の前、二人の男が槍を持って立っている。少女が進むと、二人は通行を遮断するように槍を交差させ重ねた。
少女は言う。
「歩き疲れたこの足を、どうかしばらくここで休ませてはくれぬだろうか」
「馬鹿を言うな。そんな汚い格好の者、この国に入れることは叶わん」
「身なりを整えてから出直すがいい」
無慈悲な言葉を浴びせられ少女は追い返された。
仕方なく東の国へ足を運ぶ。
門の前、誰もいない。少女は門を叩く。
「我は旅の者なり。疲れたこの足をどうか休ませてはくれぬだろうか」
門に付いていた小窓が開き、その口から目が覗いた。
「問いに答えよ。貴様は隣国からの遣いか?」
「我はただの放浪者。隣国から追い返されここに来た。この国も我を拒むと言うのなら立ち去ろう」
少女は門に背を向け歩き出そうとすると、門が開いた。
「出て行けなど言っていない。無礼を許してほしい。何のかまいもできないが、この国で心身ともに疲れを取っていくといい」
門が開き、そこに立っていたのは少女より少し年上の女。黒色をした髪は長く、左右に分けた髪を耳の下でふんわりと縛っていた。
国の女に少女は案内され歩く。国内は緑が少なく、全体的に黄土色をしていた。水気の無さを象徴するかのように、所々地面にヒビが入っている。国民全員服はみすぼらしく汚れ、活気というものもなかった。
「さっきは申し訳ない。見てのとおりこの国は荒んでいて旅人が来ることもそうそうないのだ。来るとしたら隣国の者かな」
「なにゆえ隣国から?」
「隣国は栄え、国民も多い。増えすぎた人口の住む場所を確保するため、この国の一部を渡せと言いに来る。……おそらくその不安もじきになくなるが」
「?」
「そうだ、名を言い忘れていた。私はミナ。小さき旅の者、キミの名は?」
「……。すまぬ、まだ名乗れぬ」
「さっきの粗相もある。無理に聞き出すのはやめておこう」
ミナに連れられ着いたのは屋敷だった。しかしその屋敷も色が映えず、黄土色の景色と同化するようだった。
「ここは国長の屋敷。旅の者へのもてなしは私が頼もう」
「ありがたい」
ミナは国長の孫娘で、少女は屋敷でしばらく休むことになった。豪華なもてなしはなかったが、それでも少女がゆっくりしていけるようにと歓迎してくれ、寝床や食べる物を用意してもらった。
「わしゃあこの地を治めとる長じゃ。いやはや、その身で苦労してきたじゃろう。たいしたことはできんが、ゆっくりするとよい」
用意してもらった晩餐を挟み、少女の正面にはミナと老人──長が隣り合い座る。長は朗らかな表情をしているが、ずっしりと構えるように座る姿は貫禄があった。
「おさ、とは……偉い者か?」
「名ばかりじゃが、そうなるかのう」
「おお……。この地の長よ、世話になろう」
少女は長という存在に一時強張った表情を見せ、それから畏まるように深く頭を下げた。
「うむうむ」
「旅の者、どうしてキミは旅をしているのか聞いてもいいかい」
客人と家主との挨拶がひとしきり済み、ミナは談笑を持ちかけながら食に手をつけ始めた。問いかけられた少女は顔を上げ、ミナを真似て箸を手に持ちながら答える。
「世界を見たい、とでも言おうか。我は色んなものを見て回りたい」
「世界、か。これまた小さいのに大きな希望を持っているんだね」
「希望……。いや、これは我にとっては罰であろう」
「罰?」
「我は無知に生きすぎた小さき者。とても、とても、愚かじゃ……。それを悔い改めるためにも、我が母の地に棲むものらのためにも、様々なものを見、知っていきたい」
「ものらのためって……もしかして治める立場の者だったりするのかい?」
「治める?」
「それこそ長のような。代表とか……もしくは私みたいに、長の子孫とかさ」
「おぉぁ……そう、じゃの。似たようなものじゃろうか?」
「ふふ、お仲間さんだね。他の地の代表と出会えて嬉しいよ。わざわざようこそ。その身で国を思うとはご立派だ」
一旦箸を置いてミナは少女に向けて片方の手を伸ばす。しかし少女はミナの行為にきょとんと目をぱちくりとしてしまう。この手が示す意味をわかっていない様子だ。
「もしかしてキミの地では握手はなかった?」
「あくしゅ?」
「歓迎の意だよ」
首を傾げる少女の手を取ってミナは握り、上下に軽く振る。少女は大きく目を開かせた。
「ほぉ握手とな!」
覚えたての挨拶に、まるで新しい玩具でも与えられたような無邪気さを見せる。爛々と大きく開かせた目の輝きを見せ、少女もミナの手を上下に振り返して笑った。
「この辺りでは見ない珍しい顔だ。さぞかし遠いところから来たんだね。文化が違うのも頷ける。私の父と母もな、国のため、今はこの地の荒れの改善をすべく外で手がかりを探しているところなんだ」
「そうか。たしかにこの地はなぜだか悲しい色をしておる……」
「昔は豊かだったんじゃがのう。徐々に徐々に枯れていってしまってこの有様じゃ。隣の地とさほど環境は変わらぬというのに、いやはや……」
長は話しながら参ったようにかぶりを振る。少女は改めて自分の食卓を見下ろしてみる。どれも器の三分の一ほどしか載せられていない質素な品々。対してミナと長老の料理は、少女より一回り少ない同じ料理が載せられている。貧困な地で食もままならないのはこの地を歩いて予想づいていたものの、現状ははるかに厳しいものだということをこの食卓が物語っていた。本来なら、見ず知らずの旅人に食を分け与えてやる余裕すらないだろうに。
「でも、きっとまた回復するさ。父と母が帰ってくるまで、代理としてこの国と民を守るのが私の使命なんだ。挫けてなんかいられない」
辛気臭い空気を払い除けるようにミナは声の調子を上げる。その頼もしく眉を吊らせた顔つきは彼女の強い意志が込められてあった。
「ミナもご立派じゃの」
「ありがとう。……そう、私が守らないと……」
「?」
*
「ミナ、無理しなくてもよい。拒むのなら、それでよい。共に他の方法を考えればいいだけじゃ」
「……しかし、このままでは……私の身だけで助かるのなら、私は……」
「ミナが重荷を背負うことないんじゃよ。ゆっくり、気が済むまで考えなさい。わしゃあミナの意思を尊重しよう」
日も変わりかけた真夜中に、少女はふと目を覚ます。与えられた寝室の隣部屋からか細い灯りが洩れており、二人の話し声が聞こえた。詳しいことまでわからないが、深入りすることでもない。少女は瞼を閉じ、再び寝に入った。
滞在して数日が経ち、何者かが国の門を叩いた。門に備えてあった鐘が鳴り、その鐘にミナは気づいて門に向かう。少女も同行した。
「東の国よ、そろそろ答えを出してもらおう」
開かれた門の前にはひときわ裕福そうな身なりをした中年男性が立っていた。男はミナを視界に入れると、途端顔を引きつらせた。呆れとも取れるような辟易さを纏わせて、ミナを蔑ろの目で見下ろしている。
「なんだ。また貴殿か。その様子ではまだ親どもは戻ってきていないようだな」
「ああ。だから……もう少し待つことはできないだろうか。それ以外の応対ならば私が受け持つ……」
「そう言って幾日経つ? これは貴国のためでもあることを忘れるなよ。待てど待てど帰りはせぬ裏切り者を待って何になる。この国を担うのならば、いい加減すがるのをやめよ。貴殿のその判断の遅さが国の民を飢え死にさせるぞ!」
「……っ、」
威圧的な物言いにミナは口を閉ざす。渋る様子に少女は首を傾げるばかり。ふいに、ミナの後ろから遅れてやってきた長が歩み出た。
「すまないのう。そちら方の要望に応えようにもわしゃあこの子が可愛くて仕方ない。それにまだ成人もしておらん。嫁がせるには気持ちの整理も必要じゃ。時間がいることを許してはくれんか」
「フンッ。そんな戯言聞き飽きたわ」
「こればかりは、本人の意思なくわしゃあ同意できん」
少女はミナの服の裾をくいくいと引っ張る。
「何の話をしておる?」
「……塀を無くす話だよ。国の隔たりを断ち切って、隣国と合併するんだ。隣国の食物を分けてもらうかわり、この国は土地を差し出す。私が隣国の長のご子息と結婚することでね」
「ん? しかし、先日は主の父母がなんとかしようと旅に出たと……」
「それでは遅いのだよ。貴国も、そして我が国も。いつ帰ってくるかもわからぬ裏切り者どもをどう待てと? その間に滅んだらどうしてくれる! ゆえに両国を救う提案をしたまでよ。それによって貴国の民は飢えを凌ぎ、助かると思え。安いものだろう? 拒むのであれば出ていってもらってもかまわん。我が領土としてありがたく土地を頂こう」
「ここは我が土地だ!」
「ならばとっととくたばるがいい! その判断が誤ちと気づく頃には民の嘆きも聞こえんことだろう!」
またもミナは口を閉ざしてしまう。長も言い返せず眉をひそめるばかり。
「さあ、これで最後だ。返答を! 民のためを思うなればこそ!」
「ミナ……」
「……くっ、わかった……。これも民を守るため。その申し出、受け入──」
「待たれや」
ミナが返答を出そうとしたところを、遮ったのは少女だった。
「この国には借りがある。我が力を貸そう」
「力って……」
「なんだこの小娘は。先ほどから気にはなっていたが気味の悪い……」
隣国の遣いは少女を見下ろし、見慣れない異質な容姿に侮蔑の目を向ける。対して少女は侮辱をものともせず、足を前に出し物申した。
「この地はここに住まう者どもの領域。それを越えてはならぬ。土地を欲するならば主の方こそ別の地から手にしてみよ」
「別の地? この岩肌からどう手にしろと」
国の周りは国内より酷い荒地だ。地盤は硬く、山岳が多い。この地形を利用しようにも、住みやすい土地として開拓するのは難しい。もっとも、少女はそんな道を歩いてきたのだから、その困難さは身をもって知っている。
「それをどうにかしたのが主らの祖先であろう。それ相応の努力を手に、この地を我がものにしたのだ。今を往く者どもよ、なにゆえそれを蔑ろにしようか。祖先の誇りは主らの胸に残らんのか」
「何を言っているのかさっぱりだ。もういい。どうなっても知らん!」
少女の毅然とした態度と言葉に男は腹を立て、踵を返して去ってしまった。
しばらく放心としていたミナだったが、ハッとして少女と向き合う。
「な、なんてことを言い出すんだ! 本当に手立てはあるのか?! なければ国は、民は……私は……っ!」
真っ青な顔をしたミナは少女の肩を掴んで訴える。ミナの役目は、国の未来の行く末を委ねられるほど大きく重いものだ。どんな未来になっても、それは選んだミナの責任。それを少女が台無しにしたのだからミナが憤慨しても当然のことだった。
少女は冷静だった。むしろ、隣国の遣いの男のように蔑むくらいの冷たい目だ。
「……主は、信じぬのか?」
「信じる? 何を!」
「主の父君と母君を」
少女のまっすぐで冷ややかな目がミナに突き刺さる。目と目を合わせているというのに、胸がちくりと痛んだ。
「それ、は……信じてる……信じてるけど……!」
「なれば、それでよかろう。この地の民も、主を信じておる。信じておるからこそ、今の苦しみをも耐え生きているのじゃろう。ミナよ、民のためと思うはとても素晴らしいことじゃ。我はそれを讃えたい。しかし、民のためと思うがゆえ、民からの期待に押し潰され苦しむのなら、長の声も聴くがいい。主はひとりではなかろう? 盲目になるな」
「……祖父、様……」
長は少女の言葉に賛同するように頷く。
「ミナ、自身に素直になっていいんじゃよ。なぁに、誰もミナを責めたりせん。それに、わしゃあ端から隣の国どもなんぞ当てにしておらん。我が国は我が国の力で守ってゆこう。どんな未来であろうとも、共に創ることに意義があるんじゃよ」
「……っ……」
「ミナ、主の本心はどこにある?」
長の孫娘だから。不在の両親の代理だから。ミナは民のためにしっかり役目を通さないといけないのだと自身を縛りつけていた。目前の条件が民のためになるなら、優先すべき者たちのためそれを選ぶ義務があると。
そこにミナの本心があると言えるだろうか。ミナだって、この国の民に過ぎないのに。
「……祖父様、私……私は……、隣国に頼らずこの地で生きたい……! 婚姻なんてまっぴらだ! 隣国にいいように従う未来もまっぴらだ! できるのなら、この地の問題は……この地で解消し……守り遂げたい…………!! たとえそれが民にとってとても過酷な生活を強いるものだとしても……。私はみなと共に生きたい……っ。こんな私を、民は本当に赦してくれるだろうか……?」
「最初に言ったじゃろう。誰もミナを責めんよ。それがミナの意思なら、わかってくれるじゃろうて」
本心を曝け出したミナを長は咎めることなく微笑んだ。それに合わせ、聞いていた周りの人々はミナに声をかける。
「俺ぁ隣のやつなんぞ気に食わん。ミナ様のことを責めたりしねえ」
「たしかに生活は厳しいけど、きっといつかまた再興できます。ミナ様の選んだことですもの、それまで耐える覚悟はできてます」
「ミナ様の言うことに違いないですぁ!」
「誰が隣国なんかに助けられてたまるかってんだ」
長の言うとおり、誰もかれもミナを責める声などひとつも上がりはしなかった。それどころか、少女が勝手に隣国の遣いを追いやったとはいえ隣国からの救済措置が潰えた今、国民が一層団結してこの国で生きていこうという決意が広まっていく。
「みな……私のわがままをすまない。しかし、これで私も腹を括ったぞ。私は絶対諦めない! この国は我々のものだ!」
民のために自分が犠牲となり土地すら差し出すことで飢えを凌ぐか、いつ救いが来るかもわからない未来を信じて国民を巻き込み現状を耐え忍ぶか、二つの選択で揺らぎを見せていたミナの目からはすっかり惑いが消え、冷ややかな目を送る少女の視線を覆うほど熱くまっすぐな眼光をしていた。
その揺らぎない目と勇ましい佇まいを目に入れた少女は安堵したように相好を崩す。そして少女もまた、決意したように目つきを鋭くさせミナの両手を握った。
「──主の魂、主の確固たる意志、そしてみなの覚悟。しかと我が魂に刻んだぞ」
ぎゅっと握られた手は固く温かく、ミナの固い決意を受け取ったようだった。
ミナから手を離すと、少女はくるりと回りながら足を下げる。そして、両手を広げ
「その音がまさしく本物であれば、この地もきっと救われよう」
少女は、くるりくるりとすっかり治った足で地を踏み踊りながら唄を奏で始めた。
それはとても晴れやかに。
それはとても伸びやかに。
それは心に潤いをもたらすかのようだ。
朽ちた大地に似つかないほど、少女は清々しく柔らかな笑みで歌い続ける。
乾き切ったこの大地に、少女の唄が降り注ぐと──次の日、雨が降った。
雨が上がって外に出てみれば、国民たちは目を見開いた。少女が踏みしめた大地に、小さくも芽が生えていたのだ。雨のおかげで潤った大地が芽を受け入れ、その生を繋ぎ止めている。
「いったい、なんで……どうして……?」
誰もかれもが驚嘆の声を上げていた。
少女は
「我は祈りを捧げただけ。他に何もしておらん。この地は元から、生きるための地であった。主らの声に応えただけであろう」
そう言って笑う。国民には理解できなかった。
理解できなくてもいい。この芽を絶やさないよう、国民はまた一丸となり土の潤いを保つため、木々の再生を図るため、あらゆる努力を惜しまなかった。
少女は毎日祈りと称す唄を捧げた。
日を重ねるごとに草木は育ち、作物も育ち始めた。飢えに困らないほど作物が採れるようになる頃には、みすぼらしかった国民の服も生活しやすく気候に適した衣服になり、活気も少しずつ溢れる国となった。裕福とは言えないかもしれないが、充分な生活ができる土地にこれ以上は望まない。
少女がこの国にやってきて一年が経とうとしていた。少女は安泰になった国を見届け、別れを告げた。
「長く居座ってしまってすまないのう。世話になったぞみなども」
「こっちこそ。色々とありがとう。キミが来てくれて本当によかった。この恩は一生忘れない」
ミナの言葉に少女は頬を掻いた。
「何度も言うが、この今の暮らしはみなどもの手で成し得たことじゃ。手伝いもしたが、主らが努力を惜しまなかったからこその賜物ぞ? 礼など要らぬ。各々が誇るとよい」
「ふふ、そうだね。みんなの力のおかげだ。でも、あの日キミが私を止めてくれたからでもある。それは間違いないだろう?」
「おぁ、たしかにそれはある」
ミナに言われて思い出す少女は間抜けな顔をしてしまった。
あの時少女がミナを止めていなければどうなっていただろう。塀は無くなり、両国の土地が一つとなる。土地の大部分は隣国の民の住む場として渡り、いずれここの民は住処を追われたかもしれない。豊かすぎる土地に住む人々は、自然の恩恵が当たり前にあるものだと履き違え、次第に努力を怠り木々は朽ち、全土に渡る貧困の日々を強いられていたかもしれない。そのとき真っ先に切られるのは、この国民たちだっただろう。
「キミはとても立派な長になるよ。これはせめてもの餞別だ。受け取ってくれ」
そう言うとミナは自分の髪を縛る紐留めを外し、少女に自分の髪型と同じように左右に縛った。
「お?」
「私の地の女はこの髪型が治める者の証なんだ」
「いいのか?」
「ああ。私のはまた作ればいい。だから、忘れないでくれ。キミのおかげでこの地が救われたこと。キミの旅路を応援していること」
少女は括られた自分の髪の束を手のひらに載せて見つめる。ミナがこの地で苦労と努力を重ねた証の髪留め。少女は誇らしげに笑みを浮かべた。
「忘れぬ。ありがとの、ミナ」
ミナは少女に握手を求め手を差し出すと、少女はその手を握ってまた無邪気な顔をした。
「長にも大変世話になった。長としての生き方、しかと刻んだぞ! わしゃも長のような立派な治める者になろう」
少女は長に向き合い、胸を張って志を誓う。
「うむうむ。自分の地でも頑張るがよい」
そして少女は長にも握手を交わした。
「そうだ。キミの名前、最後なんだから教えてはくれないか。キミの名を後世へ継いでいきたいんだ」
「……そう、じゃったのう。名か……そうじゃな……」
少女はどうしようか考えるように目線を下げると、ミナがくれた髪に目が入る。それを見つめ、思い立ったようにひとり頷いた。
「──我が個を示す存在の名は『瀰ヒノエ』。我が誇りと存在の証明をここに残そう」
*
少女──ヒノエが国を出ると門は閉ざされる。自分の旅路に戻ろうと足を踏み出すと、前方に見知らぬ一組の成人した男女が立っていた。
「キミ、は……」
国から出てきたヒノエに驚いたのかそれきり言葉が続かない。二人の服装は酷く汚れ、後ろには荷車が引かれてある。荷台には麻袋が数個載せられてあった。そのうちの一つは破れてしまっており、目を凝らすと飛び出た中身が小さく見える。それは、肥料だ。
二人に視線を戻すと女性の手には苗が大事にそうに抱えられており、そして彼女の髪は左右の肩から前に垂らすようにふんわりと縛られてあった。
ヒノエは柔らかに笑う。
「主らの無事の帰還を讃えよう」
それだけ言って、男女の困惑の様も何か言いかけた言葉も置いて立ち去った。
最初来た国と国の境に立ち寄る。塀を見上げてみれば、この地に訪れた時に見えた西の国の高い木は、いつの間にか見えなくなっていた。