数日後。
ここは深い森の中。陽の光を遮られたその森は日中でも暗い。森の深層に近づくことも、中から出ることも困難な迷いの森は、入ってしまったが最後、二度と外には出ることができないと旅人の中では有名。実際、何年経っても出てこなかった者もいる。森の奥には旅人を喰う魔物が棲んでいるとも噂されているほどだった。
「~♪~~♪」
〝アンダンテ〟。それこそ呼ぶのにふさわしい曲のテンポだった。スロウテンポでもなく、アップテンポでもなく、恐れを知らず、ただ自分の気の向くまま進む軽やかな足取り。それに合わせた鼻歌はまさにアンダンテ。
旅人なら知らないはずがないその森の中に、軽快にも突き進む旅人──フウがいた。迷いのないその足取りが森に迷えるはずがなく、やがてフウはとある空間に行き着いた。
そこは不自然に木々が捌けており、陽の光が差し込んでいる。そしてその空間を制すかのよううにぽつりと洞穴だけが存在していた。まるで迷い込んだ者を誘い込んでいるかのような異質さ。近づいてみると、洞口は高さ約二メートル、幅は三メートルある。フウは鼻歌を止めてそのまま中へ進むと、光は入口にしか入らず、五歩ほど進めば再び辺りは真っ暗になった。
少ししてカシャン、と奥から何かが擦れる音がした。さらに足を進めれば再びカシャン、という音が響く。
二十メートルほど進むと、ふいにフウは足を止めた。視界に入るもの全てが真っ暗になり何も見えない。
「あなたが魔物?」
誰かがすぐそこにいると確信を持って話しかけると、カシャと音を立てて足元の高さから声がした。
「まったくひどいものね。魔物だなんて人聞きの悪い。外の者が勝手にそう噂しているだけのことよ」
「でしょうね」
その声は小学生にも満たないような幼い声。幼いはずの声なのに、やけに大人ぶった口調だった。
「それにしてもよく来たわねぇ。何者か聞いてあげましょう」
「それは言えません。ですが名はフウと言います」
「あらあら、勝手に人の棲処に足を踏み入れておいてそれだけ? 礼儀がなっていないこと」
「それはすみません。どうしても言えないもので」
「ふふ、まあいいわ。本題に入りましょう。なぜこの地に?」
「おたずねしたいことがありまして。それと、あなたを解放しに来ました」
フウの言葉に相手は反応してガシャッとまた音を立てた。
「解放、とはどういう意味かしら?」
ペタリと地面を足で踏む音と、それに合わせてガシャガシャという妙な音を発しながら、声は先ほどより高い位置から聞こえる。
「それですよ。先ほどから変な音がすると思いました。それは鎖ですね?」
「あら、見えないのによくわかったわね」
「その鉄の音を聞けば誰にだってわかりますよ。私はその鎖を断ち切りに参りました」
「そう……。でも遠慮しておくわ」
「……なぜ?」
「あなたに教えてあげる義理はないわ。さっさと消えなさい、風の者。ここはあなたのような子が来るところではないわ」
「でも、まだ聞きたいことが……」
「〝中〟に行けばわかるだろうから、そこで聞きなさい」
シャンという音と同時に、地面を足で踏む音がした。座ってしまったのかとフウは察し、聞いても話してくれないだろうと判断した。仕方なく、背を向けて一歩足を出す。だが思い出したかのように立ち止まり、再度顔を後ろに向けた。
「ひとつだけ聞いてもいいですか?」
「……。いいわ。言ってごらんなさい」
「あなたの名前は?」
今まで幾人もの旅人がこの森をさまよったが、出てきた人は誰もいない。
そう、〝人〟は──