ガシャッ、ガシャッ。  少しして土を踏む金属音が道先から微かに聞こえてくる。少女が無事食を終えたことを確認すると子は唐突に尋ねた。 「少しは体力ついただろ。走れるか」 「え? たぶん……」 「よし」  少女は子の思惑を理解できず頭に疑問符を浮かべるが、すぐに理由を知ることになる。 「そこの子供」  影になっているこの路地に体を屈め、子に問いかけてきたのは鎧を着た兵士だった。少女はびくりとし身を縮こませる。 「こんなとこで何をしている」 「あんたに言う必要ないだろ」 「昨夜奴隷が逃げた。逃がした悪ガキがどこかに潜伏しているとのことだが……何か知らないか。それとも──」  疑るような問いかけ。少女の鼓動は大きく脈打ち、捕まってしまうかもしれない恐怖に浸食されていた。しかし反対に子は、嘘を繕うこともなく不敵に笑って言う。 「へっ。来るのが遅ぇんだよノロマ」 「──!」  そう言い放つと同時に子は少女の腕を掴んで立ち上がり、路地の奥へと走り出した。 「見つけたぞ! 応援を頼む!!」  兵士は大通りの方へ声を上げ、子を追うように路地に進入する。兵士の後ろからも続々と同じ鎧を纏った者たちが入ってきた。  子は路地に横たわる死にかけの人々を避けながら、置いてあるゴミ箱をひっくり返したり、道上に吊るされ干されているシーツや衣服をもぎ取って後ろに投げたり追跡の妨害をしながら進んでいく。少女は息を切らしながら手を引かれ、ついて行くのに精一杯だった。  少女の足は速いものではなかったが、もとより狭い路地だ。いくら人を集めてもこんな道、多くて大人二人程度しか進む幅がない。その上視界の狭いだろう鉄仮面付き。妨害もあって兵士たちは進むのに困難を極めていた。  おどけるその様子を後目に子は悪戯に笑っているといつの間に路地を抜け出た。眩しい日差しが子供二人を照らす。  さっきの路上より人通りは少ないが、騒ぎを背負って出てきた子を見て通行人が一瞥していく。そんな人の目を気にせず、子は路地でもぎ取ったシーツを少女にかぶせてまた走った。 「素性を知られるな。絶対そのシーツ離すなよ」 「はぁっ、はあっ、足が……」 「我慢しろ。止まったら死ぬと思え」  散々痛めつけられていた体に、拳くらいの大きさしかないパンだけのエネルギー。少女の体力の限界はすぐそこだった。  走り続けていると子は目的地に着いたのか足をゆっくりと止める。 「おやおやこれは。血相を変えてどうしたんだい」  目の細い老人が二人を見て笑う。昨晩子が会った老人だ。 「じいさん。こいつを匿ってやってくれ」 「ずいぶん急な申し出じゃのう。街の方も騒々しいが……おじょうちゃん、何かやったのかい」 「野暮なこと聞くなよ。鬼ごっこが好きな大人たちに巻き込まれてる。それだけだ」 「ほっほ。楽しそうでなにより」 「ほんと、楽しくなるぜこれから」 「はぁ……はぁ……〝楽しく〟って……」 「この国の王様とやらの顔を拝みに行ってくる。さぞご立派な顔をしてるだろうな」 「えっ」 「じゃ、じいさん任せたぜ」 「ま、まって! ねえ!!」  また路地の方へ走っていく子へ少女は叫ぶが、肩を老人に押さえられその場に残るしかなかった。  少女が目に焼き付けた子の顔は、憎たらしく嫌味ったらしい無邪気な笑顔をしていた。  先ほどの路地まで戻ると、ようやく兵士たちが路地を抜け出している頃だった。背負った串を取り出し地面に突き立て、笑顔で子は兵士たちを迎える。 「いやぁご苦労さんご苦労さん。たかが一人のガキに対してよくもまあこんな騒ぎを起こすもんだ」 「おのれふざけやがって……」 「ふざけてんのはどっちだよ。そのガキ相手にやっけになんなって」 「これは王のご命令だ。歯向かうやつは女子供構わず死刑! 貴重な奴隷をよくも逃がしよって。貴様を連行する!」 「……はっ。貴重、ねぇ。言葉の意味わかって言ってんのか……」  呆れるようにため息と共に小言を吐き出すと、兵士たちは子を取り押さえようと襲ってきた。 「遅ぇ」  伸びてくる手を串で薙ぎ払い、注がれる槍からは体を捻って避け、屈んでくるものなら首を狙い、子の体格の小ささもあるだろうが、元から身軽なのか兵士たちの手から難なく逃れては隙あれば容赦ない攻撃を繰り出そうとする。傍から見ると子は遊んでいるようにも見えた。 「やる気があんのかねぇ。そんなんじゃガキに一国を乗っ取られても知らねえぞ、っと!」  スッ……、バシンッ!  串の鋭利になっている方の先を兵士の仮面の隙間に入れ込んで仮面を強引に剥がし、露わになった顔面を串の肉厚が広い面で打撃する。ちょこちょこと小回りの利く子にいいように翻弄され、兵士はひとり、またひとりと倒れていった。 「こ……っの!」 「遅いっての」 「う゛ぁ!」  気づけば兵士は残り一人になっていた。  震えた足で正面に向かう兵士を見、倒れている者たちを一望し、子はまたため息をついた。 「はぁー。張り合いねえなぁ」 「お、お前の狙いは、いいいいったいなんなんだ!」 「あ? なんだよお前。震えちゃって情けねえなぁ。狙い? とりあえず王様とやらに会って直談判……とかか? 詳しくは決めてねえよどうでもいいだろ」 「……国王の命を狙っているのか」 「はぁ? 命まで取る気なんか──」 「殺してくれ! 頼む……俺は、俺はもうこんな生活嫌だぁ……!」 「何言っ……」 「こここんなことになって……殺される……殺される前にあの狂った化け物を殺さないと……俺はもう、もう!」 ──グサッ 「!」 「が……ッ……い゛、いやだ……しにたくない……しにたく……う゛っぶぁ……」  兵士は背後から来た新たな兵士に甲冑ごと背から腹へ剣で貫かれた。予想だにしなかった事態に子は目を丸くするが、新たな兵士は淡々と吐き捨てる。 「お前はもう用済みだ。裏切り者め」  剣を抜けばバタリと兵士は倒れ、地面に血溜まりを作った。街ほど人通りの少ないこの一帯では叫び声をあげる者はおらず、兵士たちから避けるように十分離れた位置から国民が観覧している。  新たに来た兵士たちにいつの間にか子は囲まれ武器を向けられ、チッと舌打ちをして動きを止めた。 「小僧、来てもらおうか」 「……ったく。たかが見張りを殴って檻を開けただけでこの騒ぎかよ……。──噂の傲慢王者はずいぶん肝が小せえとみた。逆らったらこの場で刺されるんですかねぇ?」 「わかってて言ってるのか貴様」 「あーあ。言うとおりにしますよ。上が上ならそれに従う下も下だな」  子は抵抗することもなく串を背に戻し、両腕をだらんと上げ従順の意を示した。しかし示す動作に反して態度は変わらず、危機感のひとつすら抱いていなかった。自分の立場を弁えず、愚痴すら挟む挑発的な物言いに、兵士は子の顔面に剣を突き立てる。先ほど付着した血がポタリポタリと地に垂れた。 「……。んだよ。汚ぇもん近づけんな」 「口には気をつけろよ小僧。私の機嫌次第でどうにでもなるんだからな」  冷静な口調で立場を知らしめようとする兵士。それでも子は動じなかった。 「はいはい、わあったわあった。そんなピリピリすんなよ」  口も態度も悪いが、ここで強要するのも時間の無駄だと判断し、兵士は持参したロープで子の体を縛り上げ逃げられないように拘束した。そして縛った先のロープをぐいっと引っ張り連行し始める。数名の兵士は子の両脇から武器を突き立て別の方向へ勝手に進まないようにと行動を縛る。 「厳重にやりやがって……ったくよぉ」 「無駄口を叩くな」  愚痴を耳に入れた先導する兵士がまたロープをぐっと引っ張ると、子はバランスを崩してよろけた。兵士を睨みつけるが圧倒的不利な状況下で、兵士はふんっと相手にせずまた前を向いて歩き出す。今はただ従うしかなく重い足取りで歩き出すが、遅ければ今度は後ろから槍を突き立てられ早く行けと言わんばかりに焦らされる。現状子に自由はなかった。  歩きながら、子は動かなくなった血溜まりの中心の兵士を見つめる。自分を囲う兵士も、少なからずいたはずの通行人も、もう誰もあの鎧に見向きもしていなかった。そして次に自分が倒していった他の兵士たちを眺める。その者らは新たに来た兵士数名から暴行を加えられていた。無慈悲だ。そういえば刺されたあの兵士が着ていた鎧は剣が貫通していた。それほど脆いものを着せられていたのだろう。 「……胸糞悪」

<+前へ+> <+次へ+>

---back---
TOPへ