「え? 頭を包帯で巻いた子供?」
旅人は店で会った子供について聞き回った。
「でもなんで?」
「会って話を聞いてみたいんだ。同じ顔隠し同士」
「うーん、どうかしら……あの子、時々見かけはするけど普段どこにいるのかわからないのよ」
「……わからない……」
「宿に泊めてもらってるわけでもないし、どこかに住まわせてもらってるわけでもない。いつもどこにいるのか謎なのよねぇ。たまにふらっと現れてはいつの間にか消えてるの。きっとわけがあるんでしょうし、一々深入りなんかしたらあの小さい子のかよわい心が傷ついちゃうかもしれないじゃない? だから誰も気にしないようにしてるの」
「……そうか。ありがとう」
他の家屋の扉を叩いたり、すれ違う人に聞いてみたりするが、一向にあの子供の情報は入ってこなかった。深入りするのは無礼だという認識が国民に根付いており、気にはなるが聞きはしない。誰も謎に触れようとしていなかった。深入りはしないくせに、店内で盛り上がったような噂や憶測、作り上げた捏造なんかは多く耳にする。その度旅人は聞き流した。
とうとう日が暮れ出し、外に出ている人は少なくなる。一日中聞き込みすれども、子供についての進展はなかった。人々が寝静まる日没に行動するほど旅人も馬鹿ではない。いったん休むとしよう。
旅人を目にした国民が宿へ案内しようとしたり、一晩泊まるといいと親切心で声をかけたりするのだが、旅人はそれらの厚意を全て断った。
「顔を見られたくない」
なんて一言言ってやれば国民は「それなら仕方ない」と簡単に引き下がる。単純で気が楽だ。
旅人は岩肌の地へ戻ってきた。ここなら誰も寄り付かない。
──と、思いきや。
「…………」
岩の影から、さらに長く伸びた人影を一つ見つける。ただの異邦人かはたまた自分と同じことを考える者か。ゆっくりとその人影に近寄ってみる。
そこにいたのは、散々行方や情報を募った対象ご本人だった。
旅人の足音に気づいた子供も顔を上げ振り返る。驚いたように目を見開いていたが、旅人を視認した子供は、店で会った時と同じようにたいして興味のない眼差しを向けた。
「……旅人さん、だっけ。こっちには休める宿も家も無いよ。引き返すことをお勧めしますね」
手をひらひらと振りながら、そっけない態度で子供は言って顔を逸らした。
「……じゃあなんでちびっこはここにいるんだ。父親とか母親はどうした」
「……。旅人さんに関係ないでしょ。あとちびっこって言うのやめてくれます? 無性に腹が立つので」
「なら名前は」
「見ず知らずの旅人さんに教えてやる名前なんてありませんね」
「そうか。ならチビガキだ」
「はあ?」
旅人はそう言うと、有無を言わせず子供の隣にすとんと座った。あたかも最初からそこにいたかのように平然と。ふう、と一息つく旅人に対して子供の方の気が気でない。
「ちょ、ちょっとぉ! なんで隣に座るの!」
「オレもここで休む」
「勝手に寝床取らないでよ!」
「取ってない。分けてもらっただけだ」
「そんな横暴な!」
立ち上がり怒号を立てる子供だが、旅人はあっけらかんと居座った。うぐぐぐ、と唸るも旅人は動じず岩にもたれかかって腕を宙に伸ばしくつろいでいる。てこでも動きそうにないご様子だ。
とうとう根負けしたのか子供は勢いよくその場にどすりと座った。せめてもの意地なのか子供もこの場から動く気はないらしい。
「そう怒んなよ」
旅人が宥めようとするも子供は顔を逸らしたまま無視を貫いた。
「……いきなり悪い。でも、聞いてくれ。オレは今日一日お前を捜してたんだ」
旅人はゴーグルを首元に下ろしながら一人語り出す。子供は聞く耳持たず背を向けたままだが旅人は続けた。
「オレは、生まれつき顔立ちが周りと違ってな。父さんはこれを個性だと言ってた。でもオレが住んでたとこではこの個性は受け入れられなかったらしい。父さんはこの個性を持った人もこの世のどこかにいるはずだと言ってた。だからオレはそんなやつを探してる。オレと同じやつがいるかもしれない場所を」
「…………」
「周りのやつはみんなオレを異色の目で見るんだ。顔を晒しても、顔を隠しても。だけど──」
旅人は言葉を区切り、子供へと体を向ける。そして子供の頭を両手で持ち、強引にも自分の顔の前へと引き寄せ自分の目と見合わさせた。
「!?」
「お前だけは違った。だから何か知ってるんじゃないかって思った」
動揺した子供は目を逸らすことができなかった。一点を見つめるまっすぐな眼。一目合ってしまうと、子供は我を忘れて旅人の眼に釘付けになる。
息を飲むほどその瞳は異色。透き通るような淡い水色と闇のような濃く歪んだ紺を帯びるその眼の色彩は混沌とし、文字通り〝異色〟であった。鮮やかといえばそうであり違い、淀んでいるといえばそうであり違い、禍々しくも惹き付けられる眼。
日が沈み、伸びた影は夜闇と共に消える。暗がりの世界に旅人の眼の色は同化した。
旅人が手を離し、ゆっくりと間合いを取るとようやく子供はハッと我に返ってぱちくりとまばたきする。唐突なことに思考は未だ戻ってこれずしばし放心としてしまったが、ぶんぶんと首を横に振って思考を取り戻した。
「──わ、悪いけど、ぼくが顔を隠してるのは単に自分が見たくないだけ。個性的だからじゃない。旅人さんを見る目が他と違うって言ってたけど、周りに興味がないだけだよ」
「…………」
「残念だけど、ぼくは旅人さんの尋ね人じゃない」
「…………。そっ、か……」
はっきりと告げられた否定に、旅人の覇気が収縮していくさまを見て取れた。酷く落胆するわけでもなかったが、消沈というよりは放心とし、岩に背を預けてへたりと座り込んでは息を吐く。旅人は期待が外れることに慣れていた。
さっきまでの勢いはどこへ行ったのか、自分のせいと言うのなら子供はどうにも居心地が悪い。そもそも自分は事実を言っただけなのに! もどかしい思いで頭を掻いた。
「……あのさ、用が済んだなら人のいるとこに行きなよ。ここにいたら風邪ひくよ」
「それはお前もだろ」
「ぼくは慣れてるし……」
「オレも慣れてる」
「……そ」
今さらこの場を動く気力など残ってはいなかった。子供ももう無理矢理と追い返すことはせずに、二人で夜空を見上げることにした。
子供は自分の持っていた薄い布で体を覆い、旅人は自分の羽織ったマントの前をしっかりと閉める。二人ともまるで防寒のできていない装備だ。風を遮ることなどまるでできていない。あの国の人たちは今頃安全な建物の中で、自分の劣等と共に寒さをも凌いでいることだろう。しかし二人はそんな安全地帯に身を委ねるなんてできなかった。
「……旅人さんってさ」
「ん?」
「そんなに個性的な顔してるの?」
ただの世間話のつもりだった。出会ったばかりの顔も名前も知らない二人。そんな二人が隣り合って寒空の下黙りとし続けることの方が気まずかったのだ。
それにしては自分が発した皮肉な問いかけに、子供は慌て旅人に顔を向けるが、
「あっ、いや、ごめん別に──」
口を挟む前に、すでに旅人はマスクを下げて子供を見つめていた。
子供は絶句する。
タイミングの良いことに、雲の切れ間から月明かりが旅人の顔をよく照らしている。その顔に、子供は呆けた顔を隠せなかった。包帯で隠れた顔なんて見えもしないが、泳ぐ目にその様子があまりにも一目瞭然だ。
なんて皮肉だろう。誰が彼の人の顔を個性だなんて言葉一つで言いまとめてしまったのか。
そしてまたタイミング良く、旅人がマスクを上げると同時に空を覆う雲が月まで隠してしまった。たったひとときの暴露だった。雲のタイミングを計ったわけでもないのに、隠された月は光源を閉ざし、旅人の顔を遅れて隠したのだ。こんなに都合よく自然までも味方にしてしまうものか、これを偶然だなんて言葉で片づけたくはなかった。
「こわいか?」
「……ぁ、」
子供はすぐには返せずに、目を伏せてからゆっくり口を開く。
「……暗くて、よく見えないや……」
「うそつけ」
〝こわい〟
そんな感情微塵も抱かなかった。それでもきっと、この顔は見る人によっては〝おそれられる〟ものなのだろう。少なくとも旅人のいた国ではそうだったのだ。
「生まれつき……?」
「生まれつき」
「そう……個性的、だね」
訂正して出た一声は結局それだった。案外その言葉が出てしまうものだ。言いたくもない似合わない言葉なのに、どうしてその言葉が合うのか、子供にこれ以上の言葉は浮かばない。
「まあな」
「なんで、そんなあっさり見せてくれたの……」
「言ったろ。お前は他のやつと見る目が違うんだ。だから見せても大丈夫だと思った。事実、お前の目は変わらなかった」
「そんなのただの気のせいだよ……」
見えなければよかったと、心底子供は思ったし、言い出すんじゃなかったとも思う。月が旅人の味方をしたことを恨まざるを得ない。もしくは旅人が月を味方につけたのか。どちらにしろ、子供にこの事実を背負う覚悟など持ち合わせてはいなかった。
それよりも旅人に対する待遇を考えると身の毛がよだつ。あまりにも理不尽だけれど、この世はいつだって他人を認めないことを痛感させられた。
「オレは別にこの顔が嫌いだから隠しているわけじゃないんだ。好きでこの風貌に成っているわけじゃない」
「じゃあ、なんでそんな格好してるの」
「この顔は、他者を怯えさせる。人の心を萎縮させてしまう。だから見えないようにしたんだ。人を恐がらせるような素顔を晒すよりよっぽどマシだろう?」
「……劣等感とか……そういうのないの?」
「ないよ。全く。オレは嫌ってないしな」
「…………」
「この個性はオレが生きている証だ。生まれ持った個性を切り離すことなんてできない。オレは大事にしたいんだ」
つらつらと語る旅人の姿勢は凛としてまっすぐだった。見惚れるほどに、芯のある力強さと美しさを兼ね備えていた。見栄や虚勢を張っているわけでもなく、それが旅人の確固たる意思なのだ。
「……強いね」
「強い?」
「人と違うことって人から指差されたりするんだ。だから自分を貫けるのってすごいんじゃ、ないかな……」
「お前だって同じくせに。大事にしたいから、個性を捨てたあの国から離れてるんだろ」
依然として旅人の目はまっすぐだった。辺りは暗いのに、眼光を強く感じる。まるで子供の境遇を見透かしているかのような視線から、子供は逃げるように顔を伏せた。
「……そんなんじゃ、ないよ……。ぼくはそんなんじゃ……」
そう言い残して、子供は布を頭までかぶって旅人に背を向けてしまった。
「心配しなくても深くは聞かねえよ。お前自身の問題だ」
ほどなくして辺りが静けさに包まれる。虫の音も聴こえはしないが、どこからか吹く風の音だけが空気を響かせた。旅人は顎に手を置き、すぅと静かに息を吐くと、寝静まった大地に慈しみを抱きながらぽつりと呟く。
「──いつか、辿り着けたらいいな……」