最後の部屋は鏡の大迷宮。部屋全体が鏡張りの迷路になっていた。 『出口は本当のあなたを映し出す鏡。いま一度自分と向き合ってみましょう』  ゲーム感覚の楽しげなアナウンスが流れた。たしかに鏡に映る色んな姿の自分を楽しみながら進む、という意図で作られているのならゲームで間違いないだろう。  しかし旅人にとっては違った。 「……拷問かよ……」  自分と違うものを映す鏡を楽しむことができなかったのだ。そんな鏡を何枚も見せられるのは苦痛だろう。 「近道なんて無い、よな。はあ……」  意を決して重い足取りで歩き出す。  鏡同士が反射し合うため道は永遠続いているように見えるが、映る旅人は鏡ごとに表情や体格が変わっているため、その鏡を映し合って混ざった旅人になっていく。訪れてきた部屋の鏡はあらかじめ映り方が決まっていたため単調なものだったが、この迷路では鏡を見るまでどのように映るかわからず、人間の好奇心を煽るものがあった。  が、 「気持ち悪」  旅人を前にしては逆効果でしかなかった。  『本当の自分を映す鏡』というものが抽象的な表現だが、ここから出るためにも仕方なく映る鏡を見渡す。  探し回っていると、鏡の前でしゃがんでいる二人の男を見つけた。側に置いてある少し大きめな鞄が特徴的で、馬車で見た人物かと思い出す。 「おっさんたち何してんの。迷子?」  しゃがむ二人の間に入って自分もしゃがみながら旅人は聞いてみた。二人は突然現れた部外者を見て一瞬驚いた顔をしたが、すぐにやさしい表情を繕う。 「いやぁそのとおりさ。この迷路はすごいね」 「大の大人が恥ずかしいもんだよ」 「ふぅん。この鞄は?」 「たいしたものじゃないよ、君が見てもつまらない物」  旅人がにこにこと笑いながら鞄を指差すと、男は触れられないように鞄を抱え込んでしまった。 「へぇー。オレはてっきりここの珍しい鏡でも盗みに来たかと思ったよー!」  両頬を両手の上に載せてわざとらしく憎たらしい満面の笑みをしながら大声を上げる。男たちは図星のように顔を強張らせ口を噤んだ。二人顔を見合わせ、汗を垂らしながら引きつった笑みを作る。 「な、なんのことかな」 「盗みだなんてとんでもない!」 「鏡にあんたらの悪ぅい顔が映ってるよ」  にやりと悪戯な顔をして旅人は正面の鏡を指し、二人はバッと勢いよく振り返った。二人のやさしかった表情は、鏡には悪党が成功を収めたときに見せるような悪い笑みとして映っていた。 「参ったな」  白状したのか男は目を細め本性を現す。 「それで? おチビさんどうするつもりだい」 「チビ言うな! ──オレは別に何もしねぇよ。何やってもオレに得も何もないし」 「ふっ、それが賢い選択というものだ」 「だけど、」  旅人は油断していた男の手から鞄を取り上げ、ダッと来た道を戻るように走り出した。 「なっ、おま!」 「オレは面白いコトが好きなんでね! こいつは貰ってくぜ!」  顔を後ろに向け、何とも楽しげに舌を突き出して走って行く。  鞄の中を見てみると、すでに街で盗んだのか綺麗なガラス工芸品が入っており、鏡を盗むために使う工具なども入っていた。 「まて!」 「このガキ!」  まるで追いかけっこをしているかのように旅人は無邪気に走り回る。  しかし鏡の迷路を走るのは容易ではない。旅人は行き止まりに差しかかったり、鏡の壁にぶつかってしまったりと、最初はこの逃走を面白半分で行っていたが、だんだん出口が見つからないという焦りへと変わっていた。道の脇に隠れようにも鏡が反射して姿が映るため意味がない。 「あーくそっ、やべぇな……」  さすがに笑みが崩れていき、額に汗が滲み出てくる。ちらりと振り向けば迫り来る男たち。子供と大人の歩幅の圧倒的差に互いの距離は縮むばかりだ。  そしてとうとう、 「──ッ!」  行き止まりに追い込まれた。  穏やかだった表情から一変した悪人はじりじりと子供相手に詰め寄ってくる。旅人は後ずさりするが鏡の壁に背中が当たってしまい万事休すとなってしまった。 「さあそれを返してもらおうか」 「ついでにお前も鞄に詰め込んでどっかの国で売り飛ばしてやろう」 「どさくさに紛れてオレが小さいみたいなこと言ってんじゃねえ!」  この状況下でも悪態を付くが、悪い現状は変わらない。ぎりりと歯を食いしばりながら鏡に目をやると、緑の少年が映っていた。どこか近くにいる。 「おーい! 緑の服のガキ!」  鏡に映った少年は旅人の声に反応してきょろきょろと見渡している。 「少しでも早くここから出て人を呼んでこい! 悪いやつがい……んぐッ!」  他に人がいることに気づいて男は慌てて旅人の口を塞ぎ抱きかかえた。旅人はじたばたと抵抗するが力で勝てるわけがなく男の手から抜け出せない。もう一人の男は鏡を頼りに少年を見つけ出そうと走り出す。 「コラ馬鹿暴れんな!」 「んんーーッ!」  ──ガッシャァアン 「!?」「!?」  突如鳴り響いた何かが割れた甲高い音に旅人も男も動きをぴたりと止めた。 「お、おいどうした! おい!!」  旅人を捕まえる男が頭を後ろへ向けてもう一人の男へと呼びかけるが、返事がない。 「おーい!」  もう一度叫ぶが男の声は聞こえず、かわりにコツコツという足音だけが反響した。  緑の少年が姿を現す。 「ひ……、あ、あ、あの、あの……」  おどおどとしておりなんとも頼りのない声を発し、男はもちろんだが旅人も拍子抜けをした。 「お前、さっきの音はなんだ? 俺の連れはどうした」 「えっと……えっと、あ、あのその……」 「ハッキリ言え!」 「わ、悪いことをしたら、ダ、ダメですよー!」 「はァ?」 「そそ、その、だから……」 「ハッキリ言えっつってんだよガキ! ──が、こいつの気を引いてくれたことには感謝するぜ!」 「なっ、いだぁあっ!」  少年に気を取られていたおかげで男の手が緩み、旅人はその隙を突いて口を塞いでいた手にがぶりと噛みついた。痛みに耐えきれず男はとっさに旅人を離し、そして  ゴォンッ。  旅人はガラス工芸品や工具が入った鞄を男に向けてぶん投げた。鞄は見事後頭部に直撃し、重い音と共に男はドサリと倒れ気絶した。 「ふぅ、間一髪」  腕で額の汗を拭う旅人は、まるでゲームをやり終えたかのような清々しい顔付きをしていた。恐怖など微塵も感じておらず、何度も同じような境遇に遭ったことがあるかのようだ。  それに対して少年は、ただ通りがかっただけなのにいきなり旅人と男の逃走劇に巻き込まれ、現状もよくわからないまま危ない目に遭い、恐怖と混乱でその場から動けずに自分の手を胸の前で握りしめながら体を震わせていた。 「おぅおぅガキには刺激が強すぎたか? 巻き込んじまって悪かったな。でもおかげで助かったよ。ありがとな」  旅人は少年の恐怖を和らげようと明るい調子で声をかけた。少年はようやく正気に戻る。 「リ、リュウくんは……役に立ち、ました……?」 「〝リュウくん〟……ああ! お前の名前か。そりゃあもうめちゃくちゃ役に立ったよ。リュウがいなかったらオレはこいつらに捕まってどっかの国で奴隷として売られていたかもなぁ」  後半やや冗談気味な声のトーンだったが間違いは言っておらず、自分でリュウと名乗る少年はそれを聞いてぱぁと嬉しげに笑った。 「そういえばさ、もう一人の男はどうしたんだ? 鏡が割れた音が聞こえたけど何があった?」 「あ、あの人は……リュウくんを追いかけようとしたときに角で足を滑らせて、そのまま……」  リュウはその男の方を目で視差しながら言葉を詰まらせ、旅人がそこまで近づいてみると、男は地面に倒れておりその付近には割れた鏡の破片が散乱していた。鏡の壁が割れていることから、足を滑らせた時に頭でもぶつけてしまったのだろう。 「はー、運の悪いやつ」  可哀想に、と他人事に男の末路を見届けていると、鏡館のスタッフが駆けつけてきた。迷路のあちこちに監視カメラを設置していたためこの騒動に気がついたようだ。  旅人は鞄と男を引き渡し、スタッフから出口まで案内すると言われたがその申し出を断った。 「せっかくだし自分で出口見つけるよ。どうせしばらくはここ閉館すんだろ?」 「そうだね。割れてしまった鏡の始末や警備システムの見直しもしないといけないからね」 「最初オレがこいつら見た所なんてカメラの死角になってたしな」 「ははは、痛いところを突かれたなぁ。そのとおりだよ」  笑いながらじと目で旅人はこの部屋の警備の甘さを責め立てる。実際男たちがしゃがんでいた場所は監視カメラに映っておらず、そのことを見抜かれスタッフは頭を掻いて苦笑した。 「じゃ、オレは閉館される前に楽しませてもらうぜ」 「どうぞごゆっくり」  歩きながら手をひらひらと振る旅人だったが、ふとした顔で後ろを向く。リュウがまたおどおどした様子で出口に向かうかスタッフについて行くべきかと迷っているようだった。 「おいガキ……リュウ」 「!」 「一緒に行こうぜ。一人より二人の方が面白そうだ」 「──は、はい!」  にっこりと笑うスタッフに見送られながら、リュウはタッタッと旅人の元に走った。

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