「さすがに百年も経ちゃあ森も変わるもんだな。こんなに広かったっけ? ここまで来るのに迷うかと思ったよ」
「そう思いながらも辿り着けるのだから心底感服する。その姿にもだいぶ慣れたようだな。昔と風貌は変わったが」
「……ああ……〝昔〟……ねえ……。正直昔とかあんま憶えてねえんだよなぁ。オレって昔どんなだった?」
「今より女々しい」
「ふはッ、笑かすなよ。そう言うお前は昔より縮んだんじゃねえか?」
「余計なお世話」
洞穴の主と親しげに話す子供。一体何者かと白蛇は震える足で洞穴の奥に進んだ。
ペタペタという足音で子供は振り返り、白蛇を見て首を傾げる。
「ん? 迷子か? 自分の住処に帰った方がいいよ」
「わ、我は迷子なんか……では……。住処なども……」
「?」
しどろもどろな口調。子供は再度首を傾げ、洞穴の主に顔を向けた。
「お前は知ってるのか?」
「まあ」
「なんだよ教えろよ。この子は?」
「三人目の被害者。お前と同じ」
「三人……──ッ!」
その言葉にはっとし、子供は表情を強張らせた。眉をひそめ白蛇の顔をまじまじと見る。白蛇は何事かと戸惑い片足だけ後ろに退いた。
子は十分に確認すると、白蛇に近づけた顔を離してはぁ、と呆れるようなため息をこぼした。理解した子は洞穴の主に顔を向けて苦い笑みを浮かべる。
「……なるほどね、そういうことか。まだこんなこと続けてたんだな」
「人間とはそういうものだ。過去を知らずに、未来へ何も残さずに、歴史を刻まず朽ちていく。そして繰り返して知らぬ過ちを積んでいく」
「はーしょうもねえな。巻き込まれた側はいい迷惑だ」
「まったくな」
「我だけ仲間外れか? 話に入れてはくれぬのか」
二人だけで話が進んでいき、置いてけぼりになった白蛇は焦るように口を挟んだ。
「おっとごめんごめん。辛かったなお前も。まあなんつうか……同じ者同士よろしく?」
子は手を差し出し握手を求めたが、白蛇はその手を受け取ることができずに顔を伏せた。
「我は……ただの自業自得じゃ……。辛いなどとは……」
「?」
白蛇の思いなど子が知るわけなく、ただきょとんとするだけだった。
ふいに洞穴の主の笑い声が響き出す。
「ふふ、ふははは!」
子も白蛇も突然洞穴中に響き出す声に驚き、じっと洞穴の主を見つめた。
「二人は昔会ったことがあるのに双方共に憶えてはいないのか。なんともおかしな話だ」
その言葉に子はジト目をし、何を言っているんだと訝しげな眼差しを向ける。しかし白蛇は目を大きく開いて子を見つめた。記憶を辿る。まだ白蛇だった身の頃を必死に思い出す。
『どうかどうか白蛇様! わたくしめの身長をお伸ばしください!! さすがに十三にもなるこの身でこの背丈はあんまりです! 不公平! どうか望みをお聞きくださいりんごあげるからぁ! お米もあげるー! お願いしますー!!』
思い出した。洞穴に時々来ては無理難題な願いを叫ぶ子供のことを。
「お主、もしや我に必死に身長伸ばせと懇願してたあの!?」
「えーそんなことあったっけ……憶えてねえ」
「頻繁に来ておったじゃろう!」
「憶えてねえもんは憶えてねえ。知らん!」
「身の年の時が止まって以来、白蛇の住処に訪れたことを憶えてはいない?」
「あー?」
洞穴の主の言葉に子は腕を組んで目を瞑りながらうーんと唸り出す。首を左右上下に傾げ、ようやくあっ、と何か思い出したのか目を空の先に見開いた。
「あぁハイハイ。守り神的な白蛇に祈りを捧げれば願いが叶うとかいうあれか?」
「それ」「それじゃ!」
「すまん。思い出せん」
子は開き直った清々しい顔で、手のひらを白蛇に向けて悪びれなく告げた。
白蛇は愕然と、へなへなと崩れ落ち手を地に着けた。
「えっ、もしかしてお前その白蛇?」
「そうじゃよ……!」
「悪いなーオレ昔のこと全っ然思い出せなくてさ。そういう話があったような無いような〜、くらいなんだよね」
「もう別に……構わぬ……。人の子の願いすら叶えられぬ我など……」
「なに。は? どういうこと?」
子は白蛇の事情を聞いた。一連の出来事を知ると腕を組み、眉を片方だけひそめて洞穴の主に顔を向ける。洞穴の主は子が言いたいことを察しているようで、肘を曲げた両腕を左右に上げて首を横に振った。
「ハァ~」
子は大きくため息をついた。そして白蛇に顔を向け直して指を差す。
「お前、それのどこが裏切られたってんだよ」
「……えっ……だって……」
「わかんねえのか? いや、わかんねえからこんなとこ居座ってるんだよな……。おいなんで何も言ってやんねえんだ」
「私が言ったら意味がない」
「自分で見つけないといけないってか?」
洞穴の主は子の問いに頷くだけだった。子はわざとらしくまた大きくため息をつき、ボリボリと頭を掻いた。
「あのさぁ、本当に裏切られたと思ってんのか?」
「事実我は身を変えられた。それは何の力も無いのに我が今まで愚行を繰り返していたからじゃろう? 当然の報い……」
「違うな。そもそも人間は自分のことしか考えてねえからお前の行動とかも見てなかっただろうよ。ただの研究材料だ」
「材料……」
「だけど問題はそこじゃねえ」
真剣な眼差しを白蛇に向けて子は語る。
「お前は裏切られたんじゃねえ。その逆。裏切ったんだよ」
「裏切っ……え?」
「偽人にされるまで森の主と名乗ってたんだろ? 実際に力があるとか本当は違うとかそんなことはどうでもいい。白蛇様は特別な存在、そう思って生きてきたんだろ?」
「う、うむ……」
「それならなんで何もしてこなかった!!」
響き渡る怒号。キンと耳を突き抜け白蛇は身震いした。
「『裏切られた』だあ? 自惚れんのも大概にしろ! 裏切られたってのは、相手のために尽くしてきて信頼を得て、自分自身もそいつらのことを信じ続けたのに、相手から手のひら返して見放されたってことだろ? それなのに話を聞いてるかぎりじゃお前は何もしてない。何もしてこなかった! 森に棲むやつらを見守るのが役目って言いながら毎日毎日のほほんと苦労も何もしないで馬鹿みたいに生きてただけじゃねえか!! 周りのやつらはお前のことを信じていた。誰が言い始めたかなんてそんなもの知らない。どうっでもいい! ただお前が森の主として存在して、周りがそれを信じてきたんなら、それは紛れもない事実だ。お前は『森の主』だ! だけど森の主としてあるべき姿はなんだ? 優位だ特別だ、だから何をすべきだ? 見てるだけじゃ意味無えだろッ!! 讃えられ崇められ、自分はそれにすがって甘えて威張って生きて、偽人にされてようやく自惚れていたことに気がついた? なんて馬鹿なことをしてたんだ裏切られて当然だァ?! ふざけんじゃねえ! お前が今までしてきた行為自体が森のやつらに対して裏切ってたってことになんで気づかない! そんなこともわからないでよく軽々しく〝裏切られた〟だなんて言えたなあ!!」
「それ以上はやめなさい」
「──ッ」
放たれた言葉は荒々しくも正論で、白蛇の胸に深く突き刺さった。
白蛇は自分が裏切られたのだと思っていた。森の主としてあるまじき姿。繰り返した愚行。そんな自分は見放されて当たり前。
しかし、白蛇がたとえ威張っていても周りは森の主と信じてくれていた。特別な存在だと讃えていた。それなのに信じてくれていた者たちに対して白蛇は何もしていない。高みの見物でもするかのように、上から周りを見ていただけだ。
何もしていなかったから、裏切られたのではない。
何もしていなかったことが、すでに裏切りと同意。
ふと白蛇は主との会話を思い出す。
『我は……我はなぜ……このような姿にされなければ……ならぬかったのか……。なぜ選ばれたのが我だったのか……?』
自分が研究の糧にされたことが不本意なさま。なぜ自分だったのかと、他の者でもよかったのではないかという裏返しの意味。
真に森の主として生きたのなら、『他の者が犠牲にならずにすんでよかった』と言っていたはずだ。
それを今さら間違いに気づき、目を泳がせ口に手を当てる。
「我は……今まで、なんてことを……っ」
傲慢に生きたため裏切られたなど思うのは滑稽。
傲慢に生きたことが罪だと思うのは戒め。
傲慢に生きたことで森の者を裏切っていたと気づいてようやく進歩。
裏切っていたことに気づかなかったのが本当の罪であり自惚れだ。
「あー言い過ぎた?」
「まったく……。──聞けや子よ。長く生きれどいまだ真に生を知らぬ未熟な魂よ。お前の生を絶やしてはならぬ。なぜ生きてきたか、その答えを見つけるためにお前は朽ちぬ身体を有したのだ」
「答、え……」
「歩みを止めることなかれ。間違いをするのは成長の証。罪を認め受け入れたならば、それもひとつの成長であり歩みになる」
洞穴の主は立ち上がると、足下から金属音を鳴らして白蛇へと近寄る。白蛇は怯えてぎゅっと目を瞑るが、温かく包まれる感覚に目を開いて顔を上げた。
「刻むといい。過ちは繰り返さねばいい。ただ……朽ちることを選ぶな。己の魂を誇れ」
やさしい抱擁。白蛇は洞穴の主の背中に手を回した。
すすり泣く白蛇を尻目に子はポリポリと頭を掻いて出口へ足を向けた。
「オレは邪魔みたいだしもう行くわルコン。じゃあなヘビ太。またどっかで」
ぶっきらぼうな声に反応して白蛇が振り返ると、ひらひらと手を振る子の背が遠のいていた。
「……〝ヘビ太〟……?」
「ふっ、あやつ無意識だな……。それはお前の名だろう」
「名?」
「己の存在を示すものだ」
『お前はいつまで経っても願いを叶えてくれないなぁ。まあ迷信なんて元から信じてないしいいんだけどさ。じゃあまた遊びに来るよ──〝ヘビ太〟』
「──憶えとるではないか」
記憶の中の子を思い出し、白蛇は見えなくなった子の背を見つめた。
「……。主よ、我にもまだ存在する意味が残っていると思うか」
「意味があるから今を生きる。そういうものだ」
「そうか……そうか……」
白蛇は決意したように目に光を宿して立ち上がった。
「なれば我が罪の化身としこの身を受け入れよう。この身で一からやり直そう」
失った自信と存在意義を取り戻し、その様子に洞穴の主は安堵の笑みを浮かべた。
「歩み始めた小さな魂よ。主が主として存在するように、名を与えてやろう」